46. 白き魔物と簒奪者と赤き落日(ラーセル領主クルト・エリドゥ視点)


その部屋はガヴァサイルの王宮の片隅にあった。

壁一面にとられた窓から差し込む午後の日差しは柔らかく。

部屋を埋め尽くすように置かれた様々な木々と草花が

真白い壁に鮮やかな緑色の影を落とす。

丁寧に撫でつけられた幾分白髪が混じった淡い金髪の初老の男

――クルト・エリドゥは、目尻に皺の刻まれた水色の瞳に感嘆の色を浮かべた。

ガヴァサイルで一番裕福な土地であるラーセルの領主の家系であり、

ガヴァサイル6大家の一つとしても知られているエリドゥ家。

クルト・エリドゥはそのエリドゥ家の現在の当主であった。

クルトの目の前に置かれた見事な細工の施された椅子には

白いドレスに身を包んだ少女が腰掛けている。

――何度見ても、白き暁の魔物の美しさには圧倒される。

窓から入る日の光を反射してきらめく透きとおるような淡い金髪。

一点の穢れもない滑らかな白い肌。

穏やかに微笑む瞳は甘い蜂蜜色。

人には在り得ぬ美しさ。

蜂蜜色の瞳の強い輝きだけが異質で、

彼女が意思を持った生き物であることを伝えていた。

光の中で穏やかに微笑むこの美しい少女が、

幾度となく

侵攻してくる隣国ロードスとの戦で数多の兵を殺し

ガヴァサイルを守護してきた

白き暁の魔物だと信じることは難しい。

初めて、クルトが白き暁の魔物に会ったのは、

父が亡くなり齢26の若さでエリドゥ家の当主となった時だった。

「はじめまして。クルト。あなたが次のエリドゥ家の当主ですね。」

この部屋で初めて会った時、

あどけない少女の姿をした魔物はクルトに向かって淡く微笑んだ。

――この頼りなげな少女が魔物だというのだろうか。

それは、俄かには信じがたい事実だった。

けれど、目の前の少女の蜂蜜色の瞳には老成した光があって。

その瞳の光は、少女の過ごしてきた長い年月を感じさせた。

代々エリドゥ家の当主だけが月に1度魔物と接触して、

魔物に関する知識を書きとめることが許されている。

長く国を守護してきた白き暁の魔物に対する民の信頼は厚い。

それゆえ、魔物の知識の管理を一手に担うことはエリドゥ家にとって名誉なことだった。

エリドゥ家と魔物との接触は始祖王ダウニエルの時代からの慣習であり、

王族だけが入れる王宮の書庫には、

エリドゥ家のものが書き記した白き魔物に関する書物が数多く残されている。

曰く。

白き暁の魔物はかつてガヴァサイル王家の始祖ダウニエルを祝福した。

そして。

白き暁の魔物の楔となったダウニエルは圧倒的な力をもって他国を征し、

3大国の一つガヴァサイルを建国した。

始祖王ダウニエル亡き後。

白き暁の魔物は王宮に残りダウニエルの子孫である王の傍らで。

何百年の間、ガヴァサイルを守護してきた。

クルトは目の前に座る儚げな淡い金色の髪の少女を見つめた。

初めて会った時から何十年経ち、自分はもはや、十分老いた。

けれど、少女はあどけないあの日の姿のまま。

確かに目の前の白いドレスの少女は人外の魔物だった。

クルトは今までにも何度か尋ねた質問を再び少女に投げかけた。

「白き暁の魔物よ。私も年をとりました。

 私がまだ生きているうちに。

 あなたの今の楔がどなたなのか、聞かせてはいただけませんか。」

蜂蜜色の瞳をした少女は黙ったまま微笑んで首を振る。

それは、その問には答えたくないということで。

けれど、魔物から答えを得られないことはそう珍しいことではなかった。

「そうですか。それでは、今日はこれまでにさせていただこうと思います。」

クルトも別段気分を害することもなく、

いつも通り立ち上がって魔物に向かって一礼した。

「さようなら、クルト。また次の月に会いましょう。」

少女の姿をした美しい魔物は陽光の中、クルトに向かって優しく微笑んだ。

それはクルトが初めて彼女に会った数十年前のあの時と寸分違わぬ淡い微笑みだった。

「ええ、また次の月に。」

クルトはそのまま薄暗い廊下へと足を踏み出した。

「お父様。ご挨拶しようと思って、待っていましたのよ。」

廊下へ出たクルトを明るい声が迎えた。

「ラティス。またお前はこんなところに出てきて、お腹の子は大丈夫なのか。」

緩やかな淡い金髪の巻き毛を揺らし、

水色の瞳に優しい光を浮かべてクルトに向かって駆け寄ってくる

少女の名はラティス。

クルトのたった1人の娘だった。

クルトはやれやれといった調子でラティスに微笑んだ。

ラティスは1年前に第三王子ダロスの妃として王宮に入っていた。

今、ラティスのお腹には子が宿っている。

第一王子と第二王子の妃にはいまだ子供がいない。

現王には

第一王子、第二王子、第三王子そして3年前にロードスに嫁がれた王女の

4人の子供がいる。

しかし、それは長いガヴァサイル王家の歴史の中でも

珍しいことだった。

第三王子ダロス様を産んですぐ亡くなった王妃が

多産で知られるギーシェンの王族出身であったことが幸いしたのかもしれかった。

ガヴァサイルの王家には子ができにくい。

表立って口にされることはないが、

ガヴァサイルの王家に子供ができにくいのは

繰り返し行われてきた近親婚に原因があるのは明らかだった。

ガヴァサイルでは他の国と違い異母であれば兄妹でも婚姻が可能である。

他ならぬガヴァサイルの王族が異母兄妹間の婚姻を重ねてきたことはよく知られていた。

ラティスが産む子供は、久方ぶりの王家の血をひく子供となる。

ラティスの懐妊は、ガヴァサイルにとって喜ばしい出来事であった。

そして、ラティスが子を産むことはクルト自身にとっても心躍ることであった。

ラティスの産む子供はクルトにとって初めての孫ということになる。

自分は老い、やがて死ぬ。

けれど、ラティスやその子供は自分の過ごせないその先の時間を過ごしていくのだ。

それは少し寂しく、けれど、とても幸せなことだと思えた。

「ラティス、ダロス様はお前に辛くあたったりはなさらないか。」

クルトは身重のラティスを気遣った。

ラティスは困ったように俯いて、それから顔をあげると小首を傾げて笑った。

「ええ、お優しいですわ。

それに、お父様。たとえダロス様がお優しくなくても、

私はダロス様をお慕い申し上げているのです。それでよろしいではありませんか。」

自分と同じ淡い金髪と水色の瞳を持つ娘は早くに亡くした妻にそっくりな仕草で笑う。

第三王子ダロス様の妃になりたいとクルトに強請ったのはラティスだった。

おとなしいけれど、強情なところが亡き妻にそっくりなラティスの一途な思いに、

最終的にクルトは折れたのだ。

第三王子の妃であれば政争に巻き込まれることも少ないだろう。

そう考えて、クルトは娘の望みを叶えるために手を尽くした。

第三王子ダロスは

ガヴァサイル王家の血を色濃く受け継いでいた。

絵画に残る始祖王ダウニエルと同じ濃い茶色の髪と同じく濃い茶色の瞳を持ち、

すらりとした長身に端正な顔立ち、

剣技にも学問にも秀でており、時折その素晴らしさが王宮内で噂されることもあった。

非の打ち所のない煌びやかな王子。

だが、ダロスの感情を顕にしない冷たい横顔はどこか底知れないものを秘めているようで、

クルトはダロスと相対する時僅かな不安を覚えることがあった。

その不安は、恐怖に似ていた。

――そう。恐ろしいのだ。私は、ダロス様が恐ろしい。

凡庸であるかもしれないが、穏健な治世を敷いている現王。

その王の性質を色濃く引き継いだ第一王子や第二王子。

それとは全く異質な不穏な雰囲気を纏うあの方が。

我ながら馬鹿なことを考えている、とクルトは首を振った。

白き暁の魔物の守護のもとガヴァサイルは長き平安の時代を享受してきた。

老いたクルトに残された人生はそれほど長くはない。

第一王子や第二王子に子供が生まれれば、

ラティスの産んだ子供が臣に下ってクルトの次のラーセル領主となることも無理なことではない。

もし、それが叶わぬならばクルトの弟であるギムザが次のラーセル領主となるだろう。

そして、クルトが死んだ後。

ラティスの子供かギムザかのいずれかがクルトの後を継いでエリドゥ家の次期当主になり、

白き暁の魔物と月に一度会うことになるのだろう。

今クルトがそうしているように。

今まで長い間ずっと繰り返されてきたように。

この平穏な時間は続いていくだろう。自分が死んだ後も。

腹の膨らみにそっと手を置いて佇むラティスにクルトは優しく微笑んでみせた。

気をつけて部屋に戻るようにとラティスに告げて、

クルトは接見の間へと足を向けた。

魔物と会った後、魔物から得た知識を王に報告する。

これも又、長い間繰り返されてきた慣習だった。

――なぜ、護衛の騎士の姿がないのだろう。

接見の間の入り口に護衛の騎士の姿がないことを訝りながら、

クルトは接見の間の扉を開けた。

そこで、クルトは、

それから先、生涯忘れることのできない情景を見ることとなった。

午後の穏やかな日差しの中。

見慣れた広い接見の間。

その中央にある玉座。

そこで

血まみれの玉座に

座ったまま息絶えている敬愛する王。

美しい大理石の床に無残に倒れている二人の王子。

その周囲に広がる不吉な赤い血だまり。

抜き身の剣をだらりとさげたまま立ち尽くす後ろを向いたままの男。

男がゆっくりとこちらを振り返った。

その濃い茶色の髪がふわりと揺れる。

微塵も動揺を感じさせない冷たい茶色の目でクルトを見据え。

それから男――第三王子ダロスは小さく笑った。

ダロスの青ざめた頬に張り付いた笑みは。

クルトが今まで目にしたことのない凄惨な笑みだった。

「王と兄上お2人が、突然私に切りかかってこられたので、

 しかたなく応じた。

 どうやら乱心なされたらしい。」

ダロスは淡々と言葉を続ける。

何一つ表情を変えることもなく。

「殺すつもりではなかったが、急なことで手加減することができなかった。」

その言葉のしらじらしさなど、

おそらくダロス自身が一番よくわかっていたのに違いない。

クルトのひりつく喉から声にならない短い叫び声が漏れた。

「残る王位継承者は私1人だ。今日からガヴァサイルの王は私だ。」

血塗れの剣を手にしたまま。

抑揚のない声でダロスはそう告げた。

歴史に残った事実はただひとつ。

第三王子ダロスは玉座を欲し。

それを手に入れた。

王族を裁く法はガヴァサイルに存在せず。

ダロスはガヴァサイルの王となった。

王となってまもなく、ダロスは隣国ロードスに侵攻すると宣言し。

ロードスへの侵攻を諦めるようダロスに諫言したシレインの老領主が

ダロスによって切り殺された。

「臆病な犬を一匹屠ったまでのこと。」

ダロスはそういって笑ったのだという。

ガヴァサイルの6大家は合議の上、兵を挙げた。

王宮内で追い詰められたダロスは自刃した。

ダロスが王となり、そして自刃するまで僅か2ヶ月の出来事であった。

数百年の長きに渡り続いたガヴァサイル王家の終焉。

それは、あまりにも突然で、そして呆気ないものだった。

誰かが火を放ったのだろう。

王宮のあちこちから火の手が上がっている。

――ラティス。どうか。どうか、無事でいてくれ。

クルト・エリドゥは祈るような気持ちで燃え上がり崩れ落ちる王宮を丘の上から見下ろしていた。

密かに騎士を何人か王宮に向かわせてあった。

ラティスを王宮の外に逃がすことはできただろうか。

だが、妃であるラティスはかろうじて無事に逃げのびることができたとして、

ラティスのお腹の子供の命はどうなるのか。

簒奪者の血をひく子供は、

後の憂いを断つために

命を差し出すことを求められるやもしれぬ。

――なぜだ。なぜ。

夕暮れの風がクルトの乱れた白い髪を嬲った。

クルトはそのまま地面に膝をついた。

幸せそうにお腹を撫でていたラティスの横顔が頭をよぎる。

――なぜ、こんなことに。

声にならない慟哭がクルトの喉にからみついた。

見あげた空は世界の果てを思わせる赤い色。

空を染める夕焼けは燃え盛る炎の色をしていた。


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