45. 隠し通路と月明かりの部屋と懺悔の言葉(凛子視点)


暗闇の中。

凛子はゆっくりと周囲に手を伸ばして

冷たく湿った壁の表面をなぞった。

周りには人ひとり立てるだけの余裕がある。

だが、その先は四つんばいになればかろうじて進める通路があるだけだった。

壁を足で力任せに蹴ってみたが、ぴくりとも動かない。

――どうやら、元の廊下には戻れないらしい。

   この穴の奥に進むしかないのだろうか。

四つんばいになったまま凛子は項垂れた。

リュクセイルの剣を持ってくるべきだった。

――シャベル代わりに使えたのに。

暗闇の先からひんやりとした空気が流れてきて凛子の頬をなでた。

風が吹いている。

ならば、どっかにはつながっているはずだ。

少なくとも、窒息するということはないだろう。

――とりあえず進もう。

合理的なのか行き当たりばったりなのかわからない判断を下すと、

凛子は覚悟を決めて狭く暗い通路の奥に進みだした。

通路はところどころ折れ曲がりながら続いている。

―― 一本道だから迷う心配はなさそうだ。出れるかどうかはわからないけど。

そう長くもない距離を進んだところで右の壁からかすかな光が漏れていた。

――まだ先は続いている、けど。

凛子は反対の壁に背中をくっつけて

うっすらと光が射している境目あたりの壁を足で押してみる。

――重たいけど動く。

凛子は安堵の息をはいた。思いのほかあっさりと外に出られそうだ。

――よかった。

両手で壁を押してできた隙間からおそるおそる顔を出す。

そこは、暗い部屋だった。

青い絨毯の敷かれた床が広がっている。

かすかな光はどうやら月の明かりだったらしい。

動かした壁の反対側は棚になっていた。

――隠し通路。

凛子はそろそろと這い出して、周囲を見渡す。

どこかの部屋には出れたみたいだ。

青を基調としたその部屋はぼんやりとした月の光に照らされていた。

音のしない静かな空間は海の底を連想させた。

部屋の真ん中に大きな寝台がある。

――人が寝てる。

凛子は音をたてないようにゆっくりとその寝台まで近づいた。

寝台に横たわっていたのは老いた男の人だった。

枯れた木の皮のように生気のない老人の顔を見て、凛子は息を呑む。

広い寝台。

眠っている老人。

この人がおそらく

ザッハの父親のラーセル領主だ。

ずっと前。ザッハに連れられてこの城に初めて足を踏み入れた時。

ザッハの父親の領主は意識不明のままだと執事のエスタが言っていた。

暗殺者の話をレノアから聞かされている今、

ここで凛子が護衛の騎士達に見つかったら

非常にやばい、ということは凛子にも容易に判断がついた。

すぐにこの部屋からでようと踵を返しかけた瞬間。

凛子は嫌な予感がして、足をとめた。

凛子の視線の先でかたく閉じられていたはずの老人の瞼が

ゆっくりと、少しずつ開いていく。

――ずっと意識不明だといっていたのに。

   なにも今このタイミングで目を覚まさなくてもいいじゃないか。

薄い水色の目が、凛子を捉えた。

「……。ラティス。」

呟きが静かに部屋の大気をふるわせた。

どうしたら。

このまま仏像のふりでもしようか。

意識が朦朧とした老人が相手ならだませるのではないだろうか。

凛子は半分本気で仏像のポーズをとりかけて、ふと目を奪われる。

目の色。

理知的な、そして少し皮肉めいた。ザッハと同じ水色の目だった。

――ああ、ザッハと同じ目だ。

   この人は、確かにザッハのお父さんだ。

つかの間、見入る。

そして、変な違和感に凛子は瞬いた。

――見えてないんだ。

焦点があってない。

老人の目は、確かにこちらを見ているのに、

凛子を映していなかった。

凛子を通り越して違う誰かの姿を見ているのだと、気づく。

「……私を迎えにきたのか。ラティス。」

聞き取りづらいしわがれた声。

――ラティスって誰だろう。

「迎えに」というのなら。

ラティスって人はきっともう亡くなっていて。

そして。

この老人は自分が死んで、ラティスという人のもとにいく日も

そう、遠くない、と自覚しているのだ。

立ち尽くす凛子の手に老人の手が伸ばされ

引き止めるように握りしめられる。

乾いてかさつく手のひらは、冷たかった。

温かさが生きていることの証だというなら。

確かにこの老人に残された命はきっと少ししかないんだろう。

「怒っているのか。ラティス。ザッハのことを。」

搾り出すように言葉が紡がれる。

凛子は静かに老人の顔を見た。

深い皺が刻まれた目尻に涙が滲む。

握る手の強さは、そのまま悔恨の深さのようだ。

「だが、ザッハはあまりにダロス様に似ている。

なぜ、ダロス様はあんな酷いことをなさったのだろう。

憎いのだ。私は、ダロス様が憎い。」

最後は激昂したように早口になって、力尽きたように手の力が緩む。

「あの子に、ザッハには、罪はない。

わかっていた。わかっていても、あの子にぶつけずにいられなかった。

お前を失ったことはあまりに辛く、それゆえダロス様の血をひくあの子が呪わしかった。

どうか。許してくれ。ラティス。」

力ない呟き。焦点の合わない目を凛子に縋るように向ける。ザッハと同じ水色の瞳。

疑問点はたくさんあった。

ダロス様って誰なのか。なぜ様づけなのか。ラティスって誰なのか。

ザッハがダロスの血をひいてるってどういうことなのか。そして、

なぜザッハのお父さんがダロスを憎んでいるのか。

ダロスがしたっていう酷いことってなんなのか。

わからない事だらけだ。

ひとつだけわかった事は

この人がザッハを呪わしく思ったこと、それが

時折ザッハを覆う暗い影の原因のひとつなんだろう、ということ。

だけど、と凛子は老人を見た。

この人は死んでいくのだ。きっと。憎しみに囚われたまま。

そして自分のしたことへの罪の意識に苛まれたまま。

それはあまりに救いがないように思えて。

だから。

偽善だとわかっていて

凛子は両手で老人の冷たい手をそっと握り締めた。

――ラティスさん、どなたか知りませんが。あなたの名を騙ります。ごめんなさい。

「許します。」

躊躇しながら放たれた凛子の言葉は音のしない部屋の中で思いのほか大きく響いた。

老人の水色の目が見開き、瞬いた。

「できればザッハにもあやまってあげてください。

ザッハは強くて賢くて優しい人です。

けれど、時折、自分の命などどうでもいいと考えているように思えます。」

凛子が続けた言葉を聞いた後、老人は黙ったまま目を瞑った。

海の底にも似た、青い部屋。

しばし沈黙が続いて。

そして。

口の端に苦い笑いを浮かべて。

老人の口から掠れた声が漏れた。

「お前は、良い子だな。黒い目の子供よ。お前は誰だ。」

――ばれた。

老人の目に弱々しくはあるものの正気の光が戻っていた。

茫洋とさまよっていた水色の瞳が、はっきりと凛子の姿を捉えている。

「その子は私の友です。父上。」

戸惑う凛子の背後から聞きなれた柔らかい声がした。

凛子が声のするほうを振り向く。

月明かりを反射して抜き身の剣が一瞬剣呑な光を放った。

「賊かと思ったよ。意表をつくところにいるね、君は。」

ザッハは抜いていた剣を腰の鞘におさめて、凛子に微笑んだ。


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