43. 森に落ちてるものと疑惑と真実(凛子視点)


馬の蹄の音って聞いていると心が落ち着く。

凛子は馬のたてがみをぽんぽんと叩いた。

毛におおわれた二本の角。黒い濡れたような瞳は穏やかだ。

闘技場にくるときに乗せてもらった馬だろうか。

もともとこの世界の馬がおとなしい動物なのかそれともこの馬の個性なのか。

凛子は背後で馬の手綱を操っている表情の読めない男を窺う。

森への入り口のところでザッハを待っていたらしい騎士の一団。

その中にレノアがいて、城まで送ってもらうことになった。

ザッハは、街にある別邸にいかなければならないとかで、供の騎士達と一緒にいってしまった。

レノアは無言のままなので、

仕方なく凛子も無言で空を見上げた。

まだ薄く陽の光が残る紫色の空にぽつりぽつりと星が光っている。

夜風が頬に冷たい。

「そういえば、後をつけてたんですね。」

凛子は気になっていたことをレノアに尋ねてみた。

ザッハが森の奥で水浴びしている凛子を見つけることができたのは。

レノアが凛子の後をつけていてザッハを案内したからだろう。

「ええ、君をつけてたんです。」

レノアは一瞬黙って、それから、まっすぐな眼差しで凛子を見て静かに答えた。

「ええ」って、そんなあっさりと。

凛子の脳裏を一連の出来事が走馬灯のように駆け巡った。

ザッハに裸を見られ、リュクセイルにあやうくザッハを殺されかけ、リュクセイルに詰られ、散々だった。

レノアは苦笑した。

「疑われたのが不快ですか。」

「えっ。」

凛子はレノアの予想外の問いかけに驚く。

確かに。

そうだ。

後をつけてたってことは、疑われてたってことかもしれない。

だけど、と凛子は思う。

ここは危険な世界だ。

注意深く動かなければ、自分の命も大切な人の命も失ってしまう。

そして、凛子は、楔であることさえレノアに告げていない。

「レノアに疑われたのは寂しい。殺されるのは、困る。

だけど、レノアはザッハとデロイトが大切なんでしょう。私はレノアに全てを話しているわけじゃないから。

信用してもらえないのは、自分のせいだから、仕方ない。」

凛子はレノアに微笑んだ。目と目が合うと、レノアが瞬いた。

それから視線を下に落として呟く声がした。

「無事に帰ってきてください、と、私は君にいいましたね。」

そう、試合前にレノアがそういってくれた時とても嬉しかった。

「あんなこと、言うつもりではなかったんです。

なぜなら、私は君が試合で命を落とせばいいと、そう思っていた。」

凛子はまじまじとレノアを見た。レノアは真顔だ。

――やっぱり殺しておきます、っていう前ふりだろうか。

半信半疑のまま、それでも、凛子は剣の柄を握り締めた。

せっかく明日の試合で死ななくて済みそうだと安心したところで

これか。

死ぬのは、嫌だ。

でも、レノアにはまるで殺気がなかった。

凛子が剣を片手に眉をひそめると、レノアが困ったというように、ふうっと息を吐いた。

「今日の朝。君を迎えにいったときまでは確かに、君が死んでくれたらいいと、そう思っていたんです。」

「いた」は過去形だ。

凛子が見あげたレノアの表情は真面目なままだ。

血なまぐさい職業についているはずなのに、レノアの静かで落ち着いた物腰はそれを感じさせない。

暗闇の中レノアの真意の読みにくい青い瞳を見つめる。

「ちょうど、君が現れた時からです。森の中で死体が見つかるんです。」

それは独り言のような口調だった。

「殺されるのはいつも夜です。

鋭利な刃物で切り裂かれた傷口は、どれも同じような切り口で。おそらく手をくだしたのは同じ人間でしょう。

そして、切り殺された死体はみな身元がわかるものを一切もっていない。

ただ、どの死体もみな武器をもっているんです。暗殺用の武器です。」

死体。

また、死体なのか。

この世界では森には死体が落ちているのが普通だとでも言うのだろうか。

レノアの話はこの世界に来て初めて見た光景を凛子に思い起こさせる。

「この森でみつかるんだったらザッハとか領主とかを狙ったんですよね。」

ここで一番えらいのはザッハかザッハの父親の領主で、その他の親戚は別のところに住んでるみたいだから。

凛子は考え込みながらレノアに尋ねた。

「そうです。おそらく領主かザッハ様あるいはその両方を狙った暗殺者でしょう。」

別に珍しいことでもないらしく、レノアはあっさりとうなずく。

暗殺者って、なんだ。日本ではそんな職業についている人に出会ったことがない。

まてよ、と凛子はレノアの話を反芻する。

暗殺者が殺されている、って。

「暗殺者が死体になってるんなら、いいんじゃないですか。殺したのは味方の兵士でしょう。」

首をかしげた凛子の問いにレノアが小さく微笑んだ。目が笑っていない。

「大量の暗殺者が投入されていることを知っているのに、報告がないなど考えられません。

こっそりと殺害する理由がない。不明なことだらけです。

リンコ。君はこのことについて何か知っているんではないですか。」

急に矛先が自分に向けられたことに凛子は面食らう。

レノアの視線が、怖い。暗殺者を殺したのは君じゃないですか、といわんばかりの目つきではないか。

「何も知りません。初耳です。」

森の中で死体が落ちてました、なんて、そんな話、聞いたことがない。

森で呑気に水浴びしていた自分に心当たりなんて、あるはずもない。

だいたいデロイトにしごかれて、夜は疲れ果ててワン、ツー、スリー、グーで眠っていた。

静かなレノアの目は、

真実を見極めようとするようにひたりと凛子に向けられている。

その目をまっすぐに見返して、凛子は繰り返した。

「知りません。」

そう、知らない。

だけど。

何かが凛子の胸の奥にひっかかって、戸惑う。

――君が現れた頃から。

――殺されるのはいつも夜。

――鋭利な刃物で切り裂かれた傷口。

符号が頭の中でパズルのピースのようにくるくる回る。ざわりと寒気がした。

凛子はきつく剣を握り締めた。

――まさか。

知らず手が震えた。

それは。

――夜中に目を覚ますと消えていた剣。

――夜毎輝きを増す赤い石。

――水を滴らせていたつややかな刃。

水に濡れたまま窓辺で歌っていた少女の姿をしたリュクセイルの、

あまりに鮮やかな微笑み。

お前も人を殺すなというのか、と笑いながら告げられたのはいつのことだったのか。

ぴたりぴたりとパズルのピースが嵌っていく。

ああ、と思う。

リュクセイル。

お前か。

すっと腑に落ちた。

リュクセイル。

殺したのは。きっと、お前だ。

凛子は唇を噛んだ。

――どうして、リュクセイル。私に黙って殺したりなんか。食料、だからなのか。

「帰りたいのか。もといた世界に。何万人か殺せばすぐにでも帰せるけれど。」

リュクセイルの言葉を思い出す。

そして、あまりにも恐ろしいことに思い当たって、

凛子は息を呑んだ。

血の気が引いた。

青ざめた顔で倒れそうな体を辛うじて支える。

帰すために。

凛子を日本に帰すために、それが殺してる理由だったら。

知らないところでたくさんの人をリュクセイルが殺していて、それが自分のせいだったら。

いったい、どうすればいいんだろう。

「人は効率的な餌だ。」

内容とちぐはぐなリュクセイルの優しい声がよみがえる。

リュクセイルの赤い瞳を思い出す。

血みたいに赤い瞳。

「殺してやる。」とザッハに告げた声は愉悦を帯びてはいなかったろうか。

血だらけの物騒な。

わかっていてもよかったはずだ。だって隠そうともしていなかった。

最初にそういってたじゃないか。

わかっていたのに。

だけど。

薄暗い森の中。

傷ついた、赤く揺らめく瞳。

寂しげな横顔。ためらいがちにそっとまわされた温かな腕。

――どうしよう。お前が殺していると確信しても。それでも。

ふいに頭の上に重みを感じて、凛子はびくっと体を揺らした。

見あげるとレノアがそっと凛子の頭の上に手を置いていた。

その手のひらの感触で凛子はようやく自分がひどく震えていることに気づいた。指の先が酷く冷たい。

レノアの手のひらが優しく凛子の髪をなでた。

子供をいたわる大人の仕草。

凛子は下を向いた。

そんなにも自分は途方に暮れた顔をしていただろうか。頼りない子供のように。

「やっぱり君は何かを知っているんですね。君はあまりにも不審な点が多すぎる。

リンコ。君を信じてはいけないと、わかっているんです。」

レノアが自嘲するように独白する。

信じていない、という態度ではないから、俯くことしかできない。本当のことは言えない。

リュクセイルが手を軽く一振りしただけで、森の木々は滅茶苦茶に切り裂かれた。無残な残骸。

唇をかむ。

恐ろしい力をもった人と違う生き物。

凛子はぼんやりと前を見る。道の向こうはもう城だった。

城の堀は暗い水を湛えている。

窓からもれる温かな光が水面に揺れていた。

動かない凛子にそっとレノアが手を伸ばして、馬の上から下ろしてくれた。

礼を言うこともできないまま、凛子は青ざめた唇を噛み締めた。

「信じてはいけない、とわかっていても、私は君を信じたいと思ってしまう。なぜなんでしょう。

詮無いことを聞きました。あなたがとても疲れていることはわかっていたのですが。

今夜は余計なことを考えずゆっくり休んでください。そして、明日も無事にかえってきてください。」

淡々とした、だけど案じていることがわかる口調が胸に痛い。

レノアはしばらく凛子を眺めていたようだったが静かに馬をかえすと闇の中へと去っていった。

凛子は手の中で冴えた輝きを放つ優美な剣を震える手で握り締める。

尋ねなくてはならない。

リュクセイルに。

凛子を帰すために、人を殺していたのか、と。

そして、もし、そうだとするなら。

もしそうだとするなら。

どうする。

リュクセイルにもう帰れなくてもいいから人を殺さないでくれ、というのか。

帰らないって、ずっとここにいるって。

それとも。

人を殺しても帰りたい、というのか。

人の命とひきかえにしてでも帰りたいって。

剣は何も答えない。

リュクセイルの揺らめいた瞳を思い出す。

凛子は唇をかんだ。

――リュクセイル。

本当のことを知るのがとても怖い。

でも、リュクセイルに会って話さなければ。

傷つけてごめん、と謝って、黙って人を殺すなんてひどいじゃないか、と詰って。そして。

本当のことが知りたい。

それが、どんなに酷いことだったとしても。


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