36.お迎えと友情と買い食い(凛子視点)


凛子はドアを眺めながら、手のひらについたヴァンの果汁をなめた。

椅子の背に背中を預けて、天井を見上げると、草花の模様が日の光に照らされて美しい。

今日が模擬試合、のはずだが、何の音沙汰もない。

自力で闘技場までいけということだろうか。

凛子は首をひねりながら

木の器に盛ってある赤紫色の果実に手をのばす。

齧ると、果汁があふれた。

豆とミルクのスープ。

焼きたてのパンとヴァンの実。

胃に優しい食事は執事のエスタの気遣いなのだろう、と思う。

ドアを叩く音がして、続いて声がした。

「リンコ。起きてますか。」

ドアは2度ノックされた後、ゆっくりと開いた。

黒い艶やかな髪。そして何を考えているのかいまいち読めない細い目。

そして、穏やかな笑顔。

なぜ、レノアがここにたっているのか。

――私は君を信じていない

凛子は昨日言われた言葉を思い出して、ヴァンの実を片手に固まった。

凛子の心の声が聞こえたのか、レノアの口元が笑ったまま軽く歪む。

「隊長に頼まれました。馬に乗れないんでしょう。闘技場まで送っていきます。

そんなに警戒しなくてもいいですよ。とって食べようってわけじゃないですから。」

でも、あなた、昨日、私を殺そうとしていましたよね、という言葉が凛子の頭に浮かんだ。

「どうしてデロイトじゃなくてレノアさんが迎えにきてくれたんですか。」

凛子の言葉遣いが思わず丁寧なものになる。

「隊長は呼び捨てで、私に敬称をつけるのはやめてください。」

レノアも丁寧な言葉遣いで答える。

「隊長も、あれで忙しいんですよ。なぜ、私が代わりに迎えにきたのか、ということなら、

 昨日のことがあるので、隊長が気をきかせたんでしょう。」

余計なことをしてくれる、というレノアの呟きに、凛子は心中で同意した。

「時間があまりありません。いきますよ。」

レノアがさっさと先に立って歩きだす。

鞄を背負いながら剣を手にとってあわてて凛子が後を追う。

剣はいつもの通り布で巻いてある。

「ザッハ様から、くれぐれも無理をしないでほしい、とのことです。

 ぎりぎりまで寝かしておくようにとのことで、この時間に。」

やや早足で歩きながら、淡々とした声で伝えられる。

「そうですか。ザッハ……様、先にいったんですね。」

疲れて寝こけていた凛子に気をつかったのだろう。

レノアが足を止め、凛子を振り返った。笑顔ではない。真剣な表情をしていた。

凛子はレノアの目が青いことに、初めて気づく。澄んだ目をしていた。

「君はいったい何者なんです。」

日本の女子高生です。

魔物の楔らしいですが、詳しいことはわかりません。

いや、だめだろう。

凛子は、軽く逡巡してから黙り込んだ。

「やはり、答えてはもらえませんか。」

あまり答えを期待していなかったらしく、しばらくするとレノアは凛子から視線を外した。

凛子はそのまま歩き出したレノアの後を追う。

レノアの前に乗せてもらって、馬上から景色を眺める。

強い風が吹くと、葉っぱが散る。

空中を漂う葉の切れ端にちらちらと太陽の光が反射する。

森の木々の向こうに見える薄緑色の暗がりはリュクセイルを拾ったあの竹林の景色とどこか似ていた。

「この世界とは全く別の世界があるっていったら信じますか。私は別の世界からきました。」

景色を眺めながらぽつり、ともらす。

「信じられませんね。」

後ろからにべもない返事が返ってきた。

だろうなあ。

凛子はうなずく。

「私がレノアから見ておかしく見えるなら、別の世界からきたせいです。

 ザッハが人質になってるのを助けました。

 ザッハも私を助けてくれた。ザッハは大切な人です。だから力になりたい。」

いつのまにかザッハは凛子にとって、大事な友達になってしまった。

だからほっとけない。

ザッハも自分のことを大切な友達だと思ってくれるだろうか。

ちょっと年齢は離れているけれど。

凛子は馬の鬣に頬を寄せながら目を瞑った。

レノアは何も答えなかった。

甲子園みたいな形をした灰色の石でできた闘技場は円形。

世界史に写真が載ってる例の闘技場にも似ていた。

「コロセウム。」

あれだ。人と動物を戦わせたとか、処刑したとかそういう血みどろの。

凛子はザッハの言葉を思い出して、ふと、背筋が寒くなる。

「模擬試合の度に必ず死者がでるんだ。」

きっと、模擬試合も見世物なのだ、と思う。

凛子は薄く笑った。

人の生死が見世物なんてきちがいじみている。

レノアが小さな部屋に案内してくれた。

古ぼけた木の椅子がひとつあるだけの殺風景な部屋。

「推薦で出場する場合は待機する部屋が与えられます。

もうすぐ呼びにくるでしょうから、後はその人に従ってください。」

簡潔に言って、レノアがそのまま立ち去ろうとする。

「呼びにくるまで一緒にまっててくれても。」

凛子が呟く。

「甘えないでください。どうせ戦うのは1人でしょう。」

レノアが笑顔のまま断った。

そう。

凛子はレノアの言葉に納得する。

今から、ひとり。

「無事で、かえってきてください。君が死んだら、隊長が悲しむ。ザッハ様も。」

思ってもいなかった言葉をかけられて、凛子はぎょっとした。

困ったような顔をしたレノアと目が合う。

凛子と目があったとたん、レノアの目の縁がうっすらと赤くなる。

照れているのか、と思う間もなくドアが閉められた。

足音が走る速さで遠ざかっていった。

呼びにきた人に連れられて、石でできた仄暗い通路を歩く。

凛子はこれから処刑される時の囚人の気持ちが少しわかった気がした。

観客席にはたくさんの屋台が出ている。

見物に来ている人々の多くは手に何かおいしそうなものを持っている。

果物を砂糖でコーティングしてあるお菓子だの

何かのお肉を焼いたのを串刺しにしたやつだの、

オレンジ色の貝みたいなのをパンみたいなのにはさんでるやつだの。

――できるならこっち側じゃなくてあっち側でゆっくりおいしいものでも食べながら、見物したかった。

この緊張した場面で、食べ物に気をとられている自分がおかしくて凛子はくすりと笑う。

凛子の口元が笑みの形に歪んだのを対峙した男が気味悪そうに見た。

凛子に向けられた剣の刃が冷たく光る。

切り裂かれて殺されるかもしれない。

竦む足。

震える手。

心臓はさっきから痛いくらいに音をたてていた。

でも。

心臓の音は生きてる音。

5回。

5回戦ったら終わる。

凛子は柄の部分に布をまいた剣を握り締める。

まるで手の一部のようになじんでしまった剣。

凛子の視線の先に隔離された観覧席が見えた。

きらびやかな服装をきた一群の人々の中で座っているザッハを見つけた。

こっちをみてるザッハと目があった、ような気がした。

大丈夫。絶対に死んだりしない。

凛子はすっと剣を構えた。

最短で倒す。そうでなくては体力がもたない。

そして。

――そして、終わったら。

   あの屋台で思い存分買い食いしてやる。

凛子は相手に向かって一気に間合いをつめた。


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