34. マッスルと8×4と暖かい水(凛子視点)
装飾を廃し、石を無造作に積み上げた建物。
がらんとした鍛錬場の中は殺風景で、床にもむき出しの石が敷き詰められている。
見渡す限り胸当てや肘当てから肌を剥きだした汗まみれむきむきの男だらけだ。
ザ・男祭り。マッスル一番勝負。
凛子の脳裏をそんな暑苦しい言葉がよぎった。
――むさくるしい。
休憩している男達の中には上半身裸になって涼んでいる者もいる。
胸毛、すね毛、ギャランドゥ。
――ただよってくる香りまでむさくるしい。
思わず凛子は目頭が熱くなった。
――せめて8×4
「余所見してるのかい。」
多少呆れたような声とともに、黒髪の男が斜め上から打ち下ろした剣が鈍い音を立てて空気を切り裂いた。
「すいません。」
短く答えてから、凛子は斜めに下がる。もう一度、手の中で剣を握りなおした。
デロイトと戦った時よりもずっと簡単に、そして鮮明に、石畳の上に軌道が見えた。
右。
次は左。又右へ。
その角度まで寸分の狂いなく、
凛子が予想した通りの軌道をたどって剣が流れる。
刃に布を巻いていれば、相手を傷つけないですむからいい。
そんな考えを抱く余裕すらある。
凛子は静かに息をはいた。
そして
勢いをつけて相手の剣を斜め下から左に弾く。
相手の剣が手から離れて落ちて、乾いた音を立てた。
横からデロイトが短い口笛を吹いた。面白がってるようなのがデロイトらしい。
「すげえな。レノアも歯がたたないのか。これで全員じゃねえか。」
「隊長。どっちを応援してるんです。」
冷静に言葉を紡ぎながら剣を拾った男が、ちらりと凛子を見た。
細い目のせいかあまり表情が読めない。
凛子と最後に交えたレノアという男はむさくるしいむきむき軍団の中では比較的すらりとした体躯の黒髪の男だ。
「俺の隊の副隊長。このままいけば次の隊長だ。優男だが腕は確かだ。」
デロイトの言葉通り、レノアという男は戦った8人で一番強かった。
――でも、デロイトと戦った時とはまるで違う。
心中の呟きがレノアや他の騎士に後ろめたい気がして、凛子は目を伏せた。
死ぬか殺すかという二者択一。
まともに向けられた殺気。
レノアと軽口をたたきあう煤けた金髪の気のいいお兄さんと同一人物のものとはとても思えない、ぞっとするような冷たい目。
――正直、助かった。
デロイトやザッハと同じくらい腕の立つ人はそんなにはいないのだという事実に、凛子は少し安堵する。
体力が致命的に足りなかった。練習の後は足も手もひどく重くてだるい。
できるだけ効率的に倒さなければきっと模擬試合の最後まで体力がもたない。
疲れ果てて剣が持ち上げられなくなったら、そこで終わりだ。凛子は唇をかんだ。
デロイトと屋上で戦ってから2週間。
ザッハが持ってきたひどい匂いのする得体の知れない緑色の薬を毎朝つけたおかげか、腕の傷の直りも上々。
入れ替わり立ち替わり違う相手と稽古させてもらったおかげでだいぶ剣の使い方にも慣れた。
明日がんばれば、半年はザッハの傍にいられる。そして、半年後にはゴーホームだ。そうであってほしい。
もう進級は無理だろう。
帰ったらもう一度高校2年生。
一学年下の人たちと仲良くやっていけるだろうか。どうしてこんなことになったのだろうか。
ちらりと剣に目を走らせてから、凛子は遠い目で天井を見上げた。
「いよいよ、明日だな。まっ、がんばれよ。」
薄く笑いを浮かべたデロイトが自分の無骨な剣の柄においた片腕に体重をかけるようにして行儀悪く突っ立っている。
「ありがとう。がんばる。」
凛子は簡潔にいってそそくさと立ち去ろうとした。
「今日も入らないのか。毛が生えてなくてもからかったりしねえから一緒に入ってけよ。」
明らかにからかっている口調でデロイトが声をかける。
――ほらきた。
「遠慮します。」
鍛錬場の横には広い浴場があって、訓練の後は汗を流せるようになっている。
初日にデロイトに裸のむさくるしい男達の只中に放り出されて、走って逃げたことを思い出す。凛子は拳を握り締めた。
――王子様とお姫様はベッドの中で本当にすやすや寝てるなどというほど純真ではない。
純真ではないが。あんまりじゃないか。もう少し美しい夢をみせてくれてもいいだろう。
どうやらデロイトや他の騎士には男だと思われているらしい。
盗賊の服を盗んだ時からずっと、男物の服しかきていない。
別に男だと思われていて不都合があるわけではない。
訂正するほどのことでもない。
が、
――ちょっとへこむな。そこまで色気がないのだろうか。
軽く落ち込みながら、戸をでて城に戻ろうとした時、訓練場の中から凛子に声がかかった。
「調子は良さそうだけれど、緊張してませんか。」
すらりとした体躯に黒い髪、レノアが細い目の奥に穏やかな微笑を浮かべて立っている。
「練習に付き合ってくださって、ありがとうございました。緊張はしてますけど、大丈夫です。」
大丈夫なわけない。
それを告げても仕方がないから笑って嘘をついた。
凛子の笑顔をどうとったものか、レノアの口の端が軽く歪められて、突然きつく腕をひっぱられる。
凛子は面食らった。気づけば入り口の壁に追い詰められた格好になっている。
ひっぱられた拍子に壁に頭を打ち付けたらしく、頭が鈍く痛んだ。
「君は普通の子供だというには、あまりにも度胸がすわりすぎているし、強すぎる。
ねえ、リンコ。何が目的でザッハ様や隊長に近づいたのかな。ザッハ様の暗殺。それとも情報かな。」
ゆっくりと丁寧な言葉遣いがかえって寒々しい。
「ここで君を殺しておいたほうがいいのじゃないか。そんな気がするのだけれど。」
笑顔のまま冷たい言葉をつきつけられてひやりとした。
疑われるのは当然だ。今まで、誰も糾弾しなかったのが変なのだ。
だが、殺しておいたほうがいいとはさすがにひどい。助けをもとめて、周りを見渡すけれど、デロイトの姿がない。
騎士達が何人か近くにいるけれど、凛子を見る目には猜疑が含まれていて、助けるどころか、一緒になって殺しそうな雰囲気だ。
剣に手をかけているものもいる。
「そんなんじゃない。」
いいかけて、凛子は困惑する。どこまで説明したらいいのだろうか。
楔のこと。ザッハが命を狙われていること。
どちらも軽々しく公言してはいけないような気がした。
「ザッハ……様を守りたいと。」
嘘ではない。
模擬試合に出ることにした理由なんて、それだけだ。
「私達ではザッハ様を守るには役不足、と言いたいのかな。」
不快そうに言い捨てられて、凛子は途方にくれた。
――なんでそうなる。
きっとレノアはザッハや、とりわけデロイトを、大切に思っているのだ、とわかる。
だから余計に敵意が込められた視線が胸に痛かった。
どうやったら信じてもらえるのかわからなくて、凛子は黙ったままレノアを見つめる。
レノアが困惑したように瞬きをした。
「なんだ、レノア。負けたからっていじめてんのか。」
軽く笑いを含んだ落ち着いた声がした。
まだ髪が濡れたままのデロイトがレノアの後ろに立っていた。地獄で仏。
「デロイト。」
凛子が明らかに助かった、という顔をしたのがわかったのか、デロイトが面食らったような顔をした。
「なんだ。可愛げのある顔もできるんだな。」
どうやらデロイトの目には凛子はずいぶん可愛げのない子供に写っているらしい。
レノアが視線は凛子に残したままデロイトに向かって淡々と言い放った。
「いいですか、隊長。常識的に考えておかしいでしょう。
こんな子供がこのような腕を持つなど。どこかの組織で叩き込まれたとしか思えない。」
――その組織は家の近所の空手クラブと高校の剣道部だ。
凛子は心の中で呟く。
――後は天から授かった運動神経の賜物だ。
「隊長。あなたが脳天気だから、私がその分慎重にならざるを得ないんですよ。
この子供は後々災いをもたらすのではないですか。」
それならいっそ、という言葉が後ろに隠れているのがわかって、凛子は右手で剣の柄を握りしめた。
「こいつは大丈夫だ、と俺は思うがね。」
凛子は思わず振り仰いだ。
鈍い金色の髪を後ろで無造作に紐で縛ったデロイトと目が合うと、困ったような顔で頭に大きな手をやった。
「またあなたは、何の根拠もないのに。どうして言い切れるんです。」
レノアが毒気を抜かれたように凛子から視線を外してデロイトを見やった。
「ただの勘だ。」
デロイトの垂れ目がすっと眇められた。
ふてぶてしい笑みなのに、温かい。
「だが、俺の勘は当たるぜ。」
目の端が熱くなって凛子は戸惑う。
信じてくれるって、心の中に受け入れてくれるのと同じことだ。
その暖かさがひどく嬉しくて、反則だと思う。
暖かい水が目から流れた。
――いったい何を根拠に信じてくれたのか、さっぱりわからないけれど。
「泣くんじゃねえよ。そうしてると本当にただの子供だな。」
呆れたような声が斜め上から聞こえたけれど、目が潤んで姿が見えない。
「うん。」
袖口で頬を拭った凛子の呟きは低く掠れた。
「私は君を信じていない。それだけは覚えて置いてください。
君はどこか得体が知れない。何かあったら、たとえ刺し違えても。」
小さくため息をついた後、それだけ言うとレノアが踵を返して入り口から出て行った。
「レノアもな、悪い奴じゃねえ。頭も切れるしな。ただ、ちょっと苦労性なんだ。」
悪びれた様子もなくデロイトが微笑む。
凛子はわかってる、と軽く頷いた。
生真面目な表情でデロイトがぽんっ、と頭を叩いた。
「お前の腕は知ってるから心配はしてないが。ま。元気で帰ってこい。」
もう一度デロイトに頷いて、入り口から外に出ようとする凛子に後ろから複数の手が肩や頭に伸びて叩かれた。
凛子が振り返るとさっきレノアの周りにいた騎士達が苦笑いをしていた。
「がんばってきます。」
おそらくそういうことだろうか、と凛子が声を出したときには騎士達はもう凛子に背を向けて歩きだしていた。
おそらく浴場に入りにいくのだろう。
ため息を一つついて凛子は外に出た。
もう、暗闇がすぐそこまで迫っている。
森を渡ってくる涼やかな風が頬に僅かに残っていた水分を乾かす。
――気持ちいい。
もう少しで城につこうかという辺りまできた時、腰の剣が小さく音をたてて震えた。
黒い布が半ば消えかけた夕焼けを遮って翻る。
虚空から伸ばされた腕が後ろから優しく凛子を抱いた。
「どうしてお前はいつもそんなに破廉恥なんだ。リュクセイル。」
その腕から逃れようと凛子は体を捻った。
「相手かまわず、魅了しようとするお前も似たようなものだと思うが。」
耳元で囁いたリュクセイルの声は低い。その声は怒りを含んでいて凛子は小さく息を吸い込んだ。
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