33. クマと姫君ともう一人の楔(凛子視点)


「俺の部隊でよけりゃ、練習につきあわせてやってもいいが、ザッハ様よろしいんですかね。」

右前方から声がした。

視線の先にはデロイト。

茶色い垂れ目には凛子の傷を気遣う色さえ見て取れる。

大きな体をもてあましたような仕草はどことなく動物園にいるでかい熊に似てる。

凛子は無造作に束ねられたデロイトの煤けた金髪をみながら、首を振る。

――だが、愛嬌があってもクマは肉食。

ザッハは驚いたようにデロイトを一瞥すると、小さな溜息を吐いた。

「なんだか、自分が君に守られてる姫君にでもなったような気がするよ。」

からかうような口調で微笑む。

――それは、ほめてるんだろうか、それとも、いじけてるんだろうか。

ザッハは逡巡するように視線を下に落とすと、存在を確かめるように凛子の腕に掴んだ。

「確かに君は強い。どうせ、とめたって出る気なんだろう。」

諦めたように囁く。

「君がそうしたいというなら、模擬試合にでるといい。だけど。」

ここで、ザッハは言葉を切った。水色の瞳が少し翳った。微笑みに苦いものが混じる。

「くれぐれも、無理をしないようにしてくれ。君の気持ちは嬉しいけれど、君が騎士になる必要などない。

君が傷つくのをみるくらいなら、まだ私が傷ついたほうがずっとましだ。」

感情を抑えた口調。

どことなく傷ついた表情のザッハを見ていると、凛子はひどいことをしているような気がした。

――うまくいかないな。

殺させたくないからそばにいたい。

それだけなのに、命がけとは、ザッハはなんて厄介な立場の人間なのだろう。

「大丈夫。死なない程度にがんばるから。」

ザッハのそばには人がいない。

誰かをそばにおいたら、その誰かは危険にさらされるから、

人をおかないのだと、気づく。

「君が大丈夫というと、きっと大丈夫なんだろうという気持ちにさせられる。

なぜだろうね。本当に君は人たらしだ。」

呆れたよう微笑む。最後の言葉はため息交じりだった。

「剣の稽古をしてやってくれるか。すまない。デロイト。君には無理ばかり押し付ける。」

ザッハの声には冷静さが戻っていた。

「私はべつにかまいませんよ。

まあ、さっきはこんなところで子供に殺されて死ぬのかと、一瞬己の運命を呪いましたがね。

ご期待にそえずに、あっさり負けてしまい、申し訳ありません。」

いつの間にか、城壁にもたれてこちらを見ていたデロイトが

溜息まじりに言うのを聞いてザッハがくすりと微笑んだ。

「いや、もしかしたらこうなるんじゃないか、とも思っていた。だから、かまわない。」

デロイトが憮然とした表情で軽く肩をすくめてみせた。

「ところで模擬試合っていつですか。」

凛子は剣を1、2度振ってみる。腕の傷がひきつれて、痛い。

「模擬試合は2週間後だ。今回はラーセルで行われる。」

ザッハの言葉に凛子は軽く首をかしげる。

「今回はって。」

ザッハは詳しく教えておいた方がいいと思ったらしい。

デロイトが背を預けている城壁の方に向かって歩き出した。

こっちにおいでと凛子に向かって手で合図する。

デロイトから少し離れた城壁に手をついてザッハは街の方を眺めた。

濃い茶色の髪を静かに風が揺らす。

ザッハを追うように城壁へ駆けよって凛子はザッハと同じように城壁に肘をついた。

「いいかい。模擬試合は6つの領からそれぞれ20人ずつ出場して、合同で開催される。

開催される場所は、持ち回りになっていて、今回はここ、ラーセルで行われる。」

デロイト、少しおいてザッハ、そのすぐ横にリンコという形で城壁に3人が並んでもたれかかる。

デロイトは回廊の内側を向いて、ザッハとリンコは城壁の外側をむいて。

「出場する20人は各領であらかじめ行われる予選の上位から17人と領主などが推薦する3人で構成される。

予選は半年も前に終わっているから、君が出場するなら、推薦という形になるね。試合は全部で8回戦。

推薦で出た場合は4回戦から出場で、5回勝てば優勝だ。」

ザッハとリンコの会話を聞きながら、デロイトが眉をひそめたのが見えた。

模擬試合のことを凛子が何一つ知らないのを不審に思ったのかもしれない。

 「模擬試合には領主やそれに近い人間がこぞって観覧にやってくる。

 推薦での出場者には、領の威信がかかっているから特に強さが要求される。

 最低でも1回は勝たないとまずい。逆に言えば1回勝てば十分ってことだ。

 それで上位16人に残ることになるからね。」

「まあ、その1回勝つのが至難の業だ。当たる相手は死に物狂いでくるから。」

「上位に入った人のなかからどうやって騎士を選ぶの?」

「まあ、例外もたまにはあるけれど。多くの場合は自分の領の者を騎士として採用する。」

「大阪は大阪で、東京は東京で就職ってかんじか。そういえば、ガヴァサイルの首都ってどこだろ。」

「……首都、ね」

ザッハはある程度理解したらしく凛子の頭をくしゃりと撫でた。

あたたかな手のひら。水色の瞳が優しくこちらを見た。

なでられるのは嫌いじゃない。人のぬくもりはあたたかい。

「ガヴァサイルで一番豊かなのはこのラーセルだ。資源が豊富で、商業的にも栄えている。」

ザッハは遠くに見える街並みを眺めている。

――確かに活気のある街だった。

ラングル亭周辺の喧騒を思い出しながら、凛子も遠くに霞む赤茶けた屋根の続く町並みに目をやる。

「すぐ横が隣の国のロードスなのに、ザッハのとこのラーセルが一番豊かなのか。そりゃ、大変ですね。

 資源が豊富な土地がすぐ横にあったら欲しくなるかもしれない。」

呟いた凛子の言葉にザッハではなくデロイトが面白そうに答えた。

「そうだな。だから隣国のロードスとは常に緊張関係にある。

魔物の守護がロードスにある今、戦になったら……。」

デロイトは自重したように、黙った。

凛子はまじまじとデロイトを見た。

布で覆っているのに、柄の部分がざわり、と動いたような気がした。剣を思わず握りしめる。

――魔物の守護がロードスにある、って。

凛子はデロイトににじり寄った。

「今、魔物の守護がロードスにあるっていいましたね。」

デロイトが思わずといったようにあごをひいてのけぞる。

「なんだ、えらく食いつきがいいな。どんだけ辺境の国に住んでるんだ。

ガヴァサイルを守護してた魔物が先の内乱の後ロードスを守護するようになったのは周知の事実だろ。

まさか、内乱も知らないっていうんじゃないだろうな。」

デロイトの台詞にザッハの表情がすっと変わったのが見えた。

凛子はそれを横目で見ながらデロイトに尋ねる。

「魔物が国を守護って、魔物は楔を祝福するんじゃないんですか。」

デロイトが答えようとしたのをザッハが手で制した。

「私から話そう。ガヴァサイルという国名はね、「魔物に祝福されし地」という意味をもつ。

伝説でしかない魔物という存在だけれど、ガヴァサイルの王宮には建国以来数百年魔物が実在した。

魔物の守護のおかげでガヴァサイルは建国以来ロードスとの戦いで負けた事はなかった。

ガヴァサイルを守護する魔物は白き暁の魔物と呼ばれていた。」

凛子はザッハが傷ついた顔をしているのを見て戸惑う。

度々ザッハの目に浮かんでいた絶望。

「20数年前内乱があった。

ガヴァサイルの王族はほぼ死に絶えた。

少なくとも王位継承者と呼べる血の濃い人間はみんな死んだ。

白き暁の魔物は常にガヴァサイルの王宮にいたから、誰も知らなかった。

白き暁の魔物が守護しているのがガヴァサイルという『 国 』ではなく、『 楔 』だということを。

なぜだろうね。白き暁の魔物の『 楔 』はガヴァサイルの王族に限られていたみたいだ。

内乱でガヴァサイルに残っていた王族は皆死んだ。

だがガヴァサイルの王族の血をひいた人間は残っていたんだ。」

楔が王族に限られるなんてことがあるんだろうか。

それにしても、ザッハはどうしてそんなに辛そうにこの話をするのか。

凛子はため息をついた。

――決まってる。きっと、根暗になった原因がきっとこの話と関係あるんだ。

「ガヴァサイルの王女が一人隣国ロードスの王へと嫁いでいた。二人の間には王子ができていた。

ロードスに白き暁の魔物が現れ、ロードスの皇太子ラーサーが白き暁の魔物の楔となった。

それが9年前。噂は瞬く間に広がった。」

声は優しいのに、ザッハの薄い水色の目は冷たいままだ。

いいたくないなら理由は聞かないけれど。

――そんな表情をしないで欲しい。

ザッハが凛子にそうしたようにそっと焦げ茶色の髪に手を伸ばして撫でる。

ザッハの水色の瞳が一瞬見開かれ、ふっと力が抜けたように雰囲気が和らいだ。

凛子を見るザッハの視線に熱っぽいものが混じって消えた。

凛子は肩をすくめて、ザッハは姫君かもしれない、と思う。

――主に精神的に。

凛子は恐る恐る尋ねてみる。

「皇太子が楔ってことは、ロードスと戦争になったら魔物もガヴァサイルに攻めてくるってこと、ですか。」

凛子の言葉にザッハとデロイトは答えない。

沈黙は肯定。

――魔物は強大な力を持つ。意思を持つ強大な力。

凛子の手の中で、剣の刃が小さく音をたてて震えた。

「だが、結局、9年間ロードスと戦争になることはなかった。

だから、おそらくそんなことにはならねえんだろうさ。まあ、心配すんな。」

デロイトが気をとりなおしたように、凛子の肩をたたいた。凛子の口から乾いた笑いが漏れた。

――頷けない。だって。

凛子はラングル亭でラングルがザッハに囁いた言葉を覚えている。

あの時ラングルはザッハにこう言ったのだ。

――ロードスとの国境沿いできな臭い噂が。


 目次   BACK  TOP  NEXT

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送