32.天賦の才と騎士の適性と執着の理由 (デロイト視点)


汗ばんだ体から風が熱を奪っていく。

仰向けで見上げた空の色は深い青。

目の端に物騒な剣の刃を捉えて、デロイトは軽く苦笑いをした。

――よけるのが一瞬遅れたら、間違いなく心臓を貫かれてたな。

水を含んだような刀身には凄みがあり、石畳に突き刺さっているのにもかかわらず刃こぼれひとつしていない。

デロイトは息を整えると、ざらついた石畳に手をついて勢いをつけると、身体を起こした。

随分長く打ちあっていたのに決着がついたのは一瞬だった。

あの刹那。目にやきつくほどに鮮やかだった残像。首筋に突きつけられた剣先。

猛禽に捕らえられる獲物は硬い爪が己ののど笛に喰い込むのを諦念とともに受け入れるのだろうか。

あの時死を覚悟した自分のように。

――だが、少年は剣をとめた。

戸惑った表情。脅えた目。

その時、自分が対峙している相手がまったく人を斬る心構えができていないのだと気づいた。

――馬鹿じゃないのか。

腕を伸ばして転がっていた自分の剣を腰に収めてから、あらためてデロイトは少年を振り返った。

「傷は大丈夫か。」

デロイトの問いかけに、少年がかすかに息を吐いて頷くのが見えた。

傷を庇おうともせず両手は剣をつかんだまま。血が石畳に赤い雫となってぱたぱたと落ちている。

その気丈さはどこからくるのか、と思う。そうデロイトに思わせるほど少年の外見は幼い。

「斬るのをためらうようじゃ、騎士には向いてねえな。」

デロイトの言葉に少年は困ったようにうつむいた。

その姿がまるっきりの子供に見えて、デロイトは眉根を寄せる。

「騎士になりたいわけじゃない。人を斬るなんていやだ。だけど、しかたない。」

デロイトはまじまじとリンコを見た。幼さの残る輪郭、引き結んだ唇もあどけなさが残る。

だが、その目に浮かぶ光はデロイトが一瞬怯むほどに強い。

「模擬試合にでないと、ザッハの傍で守ってあげることができないらしいから。」

ザッハ、と呼び捨てにしたことにまず驚いた。さらに守ってあげる、とは子供が使うべき台詞ではあるまい、とデロイトは呆れる。

――確かにあの剣の腕なら模擬試合でもいいところまでいくだろう。もしかすると勝ち抜くかもしれん。

   守ってやるという言葉も大言壮語とはいえないかもしれない。

   だが、人を斬るのすらためらうくせに、ザッハ様をどうやって守るつもりでいるのか。わけがわからん。

デロイトは近くに佇んで二人の会話を黙って聞いていたザッハを窺う。

ザッハの水色の瞳は常と変わらず冷静ではあったけれど、青ざめた頬が彼がリンコを心配しているのだということをうかがわせた。

「リンコ。とりあえず腕の手当てをしよう。血がでている。」

ザッハがそっとリンコの右腕をとって引き寄せた。

だが、デロイトの見たところ、傷口は派手に血がでているわりにしては浅そうだ。

ザッハも同じ結論にいたったらしく表情が幾分やわらいだ。

ザッハの少年に対する執着を見たような気がして、デロイトは眉をかすかに寄せる。

ザッハが腰の袋から出した消毒薬と布で手早く傷口を手当を始めた。

――用意周到なことだ。

他にもいろいろと入ってそうな袋をみながら、彼の置かれた立場を思う。

今回の誘拐事件の前にも毒物や刺客を使った暗殺未遂は幾度かあった。

それに対して、ザッハが策を講じたことはなかった。

周りに人間を置くわけでもなく、領主の弟君であるギムザが権力を掌握していくのをただ漫然と許しているように見えた。

だからこそ昨夜、突然騎士団を訪れ騎士団長を罷免したザッハの行動には驚かされた。

デロイトに味方につけ、といった。

半年は死ねない、と。

リンコは怪我の感触を確かめる為か左手で剣をもって右手を軽く振った後、

さばさばとした表情で上を見上げた。

少年の視線の先でザッハが小さく眉をしかめた。

「これで模擬試合に出ることを了承してくれますね。」

ため息をついて黙り込んだザッハの肩をリンコがおどけた表情で軽く叩いた。

「大丈夫。大丈夫。よけるの得意なんです。みてたでしょう。」

――誇らしげに言うことじゃねえ。だいたいよけ切れなくて右腕からまだ血が流れてるじゃねえか。

デロイトは呆れる。

「デロイトさん。」

「さん、はよせ。なんだ。」

いきなり話かけられて多少面食らいながらデロイトが答えた。

リンコの静かな眼差しがデロイトを見つめた。

「剣の稽古をつけてくれませんか。できたら今日みたいに本物の剣を使って。」

リンコが何か言いかけたザッハを微笑んで制した。

「ザッハ。私は、模擬試合に出て、あなたを守ります。そう、決めた。」

真っ直ぐで、揺るがず、暖かい。

―― 恐れを知らない子供の目。

「私だって危ない目になんかあいたくない。

だけど、ここでザッハを見捨てられるんなら、あの森ででも見捨てたらよかったんだ。

自分の家に帰ってまで死にそうになってるザッハが悪い。」

淡々というには多少いまいましいような感情が混ざった口調で、あながち冗談でもなさそうだった。

リンコは一度言葉を切って、それから瞳に強い光を浮かべて小さく笑った。

脇にいるデロイトまで少年の瞳に視線を奪われる。

「模擬試合に出ます。自信なんてないけど。ザッハを見捨てたりしない。」

――リンコにとっては何でもないことなのかもしれない。だが。

ザッハがリンコに執着するのは仕方がないことのように思えた。

心から信頼できる人間など、デロイトだとて数えるほどしかいない。

デロイトが片目でザッハを見やった。孤独な後継者。

今まで無事だったのが不思議なくらいに何度も繰り返された暗殺劇。

リンコを見るザッハの瞳に焦がれるような光が揺れた。

常に孤立していた彼にとって少年の存在がどれほど大きな意味を持ったのかは想像に難くない。

――ザッハ様が次期領主として自覚をもって行動をしようというなら結構なことじゃねえか。

しかも、私心なく忠誠を誓う人間が一人確保できたならそれもいいことには違いなかった。

リンコは腕のいい騎士になるだろう。

天賦の才は疑うまでもない。

そう、人を斬ることを躊躇することはあまり問題ではない。

時がたてば、人を斬ることも、殺すことですら、慣れる。

デロイト自身がそうだったように。


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