31. 決闘と武士道と怖い人(凛子視点)


頬をなでる風の柔らかさ。

遮るもののない空は、深い青。

空気は澄んでいる。

装飾の全くないデロイトの剣の刃に、一瞬、朝の太陽が反射した。

使い込まれてくすんだ黒い無骨な柄。

人を殺すための剣。

凛子は乾いた唇をなめた。

周囲の森の緑はグラデーションが鮮やかすぎて目に染みる。

城の屋上は案外広い。

凛子はデロイトとの間に間合いを取りながら

硬いざらついた灰色の石の感触を確かめるように踏みしめて、一歩踏み出した。

デロイトの口元に薄く笑いが浮かぶ。

呑気そうな人間だとさえ感じていた昨日のデロイトとの落差に

首筋がひやりとした。

――くる。

凄まじい勢いで激しい風が足元を襲った。

剣で薙ぎ払われたのを斜め後に飛んで、かろうじてよける。

冷たい汗が額から流れた。

――早い。しかも重い。

凛子は剣を握りなおす。今の動きからわかる。デロイトは、ザッハと同じぐらい強い。

――だが。

面倒臭そうに舌打ちをして、剣を構えなおしたデロイトの無表情な顔。

――殺気が感じられない。

「確かに戦い慣れてるな。死ぬのは怖くない、ってとこか。」

デロイトは淡々と言葉を紡ぐ。くすんだ金色の髪が太陽に反射する。

――戦いになど慣れているわけがない。

凛子はデロイトの言葉に心の内で答える。

――死ぬことはとてつもなく怖い。

力を入れて剣を握っても、剣の切っ先がこちらに向けられているのを見れば脚がすくむ。

ただ、ザッハを殺させはしない、と決めただけだ。

武士道とは死ぬことと見つけたり。

馬鹿なことを言う。

乾いた笑いがこみ上げる。

そんな文句は嘘っぱちだ。

森に横たわっていた死体の濁った白い目。首を切り裂かれた盗賊の血とよだれでまみれた顔。

痛くて辛くて腐乱してぐちゃぐちゃでひどい臭いで。

死は

いつだって

ぶざまだ。

戦う理由はひとつだけ。

あたりまえじゃないか。凛子の目に強い光が宿った。

私もろとも生きるためだ。

「どうやらザッハ様はお前さんにご執心、こう見えて、俺も子供好きでね。ここでやめとくって手もあるんだが。」

凛子はその問いには答えずにデロイトの茶色の目と視線を合わせた。

人が良さそうな笑み。

茶色い目は明るくて、殺し合いの最中とは信じられないくらい澄んでいた。

「そのつもりは、ないってえ顔だな。」

デロイトがやれやれと肩をすくめて凛子から視線を一旦はずした。

そうして、再び凛子を見たデロイトの顔は笑顔ではなかった。

目の前の標的を狙う冷徹な狩人の目。

――気のいいお兄さんに見えたのに、そんな顔ができるんだな。デロイトって怖い人だ。

スイッチ。

人を殺す時のスイッチ。

ふと思い出す。

腕を組んで腰のあたりまでしかない屋上の城壁にもたれかかってこっちを見つめているザッハをちらりと視線の端で捉える。

ザッハは見栄えがする男だな、とこんな時にもかかわらず、凛子は感嘆した。

眉間の皺。青い顔。噛締めた唇。ひどく顔色が悪い。

まったく表情を変えることなく、こともなげに盗賊をさくさくと殺したザッハ。

異常事態だったから。それともザッハ。人を殺すのにスイッチが必要ないから。どっちだろう。

――ザッハも怖い人だね。

凛子はデロイトの動きに神経を研ぎ澄ます。

信じられないスピードで右からデロイトの剣が振り下ろされた。

よろけながら後に下がってそれをよける。

そのまま続いて左から容赦なく剣が突き上げられた。

何度かの打ち合いを剣でなんとか流す。

なのに、見えた。

いつも、そう、まるで先を読むかのように、みえる。

隙が。その激しい剣の流れの隙間が。

――わかる。

――いま。この攻撃をかわした後だ。

激しいデロイトの剣を1度流して、踏み込む。

その剣の先にデロイトの首があった。

ぎりぎりまで踏み込んで、そして。

切りつけることができなかった。

デロイトを傷つけるのが。

怖かった。

殺してしまうかもしれないことが、怖かった。

とてつもなく。

いぶかしむようにデロイトの右眉があがる。

次の瞬間、右腕にしびれるような痛みが走った。

――やられた。

デロイトの剣が凛子の右腕を切り裂いた。

ちぎれた服。

流れ出す血。

「リンコ。」

ザッハがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

そして凛子の手の中の剣が唸るような音を立てた。

正確にデロイトの心臓をめがけて、剣がうなりをあげて飛び込んでいく。

「だめだ。――――。」

リュクセイルの名前は発音されなかった。

ただ、その凛子の言葉にはじかれるようにデロイトが体を捻った。

仰向けに倒れたデロイトの真横の石畳に剣が突き刺さる。デロイトの腕から剣が落ちた。

森の木々を揺らした風がデロイトと凛子の間をすり抜ける。

「降参。俺の負けだ。リンコ。」

荒い息をはいて、デロイトが両手を肩のところまで挙げた。


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