30. 落下する物体と当惑する騎士と夜行する獣(凛子視点)


窓枠を片手で掴むと、体を捻って入り口を覗き込むようにして答えた。

「起きてます。」

凛子の声に首を傾げて部屋を見渡してからふと上を見上げたザッハと目が合った。

「リンコ。そんなところで何をしてるんだい。」

一瞬驚いたような顔をしてから、ザッハが微笑んだ。

紺色を基調にしたかっちりした服に着替えたザッハは外国の貴族にしか見えない。

凛子は肩をすくめた。

――剣になる前に、降ろしておいてくれてもいいだろう。

剣に向かって愚痴る。

「今、降ります。」

無造作に剣を先に地面に落とす。剣はありえない角度できれいに斜めに落ちていった。凛子が息をのむ。

剣の軌道の先にザッハの姿が見える。すっとザッハが軽く一歩下がった。

ぱさり、と小さな音がした。

ザッハの焦げ茶色の髪が一房切り取られて、床に散らばる。

剣がカツンと音をたてて木製の棚にぶつかる。

棚に傷ひとつつけることなく、剣はそのままクリーム色の絨毯の上に転がった。

――リュクセイル。お前、何をするんだ。

凛子は剣をねめつけた。

絨毯の上に横たわる剣の、赤い石が、蝋燭の光にギラリと反射した。

剣を先に落としたことを、激しく後悔しながら、ザッハをおそるおそる窺う。

「リンコ。さっきのことを怒っているのか。怒るのも無理はないと思うが。」

ザッハの水色の瞳が曇って、傷ついた表情になる。

ひどい誤解だ。凛子は天を仰いだ。

それから、さっきのこと、という言葉でザッハとキスしたことを思い出して頬に朱が上る。

自分で忘れてくれといったくせに、思い出させてどうする。

「ごめんなさい、いや、違います。今のは私がやったわけじゃない。剣が勝手に。」

――とりあえず、降りてあやまろう。

凛子が内側に腰掛けるようにしてから勢いをつける。

ベッドに降りればまあ大丈夫だろう。慌ててとめるザッハの声が聞こえた。

「やめるんだ。リンコ。危ない。」

間合いをみて、飛び降りる。

ふわりと風が自分をとりまくのを感じた。いつものことだ。いつもと違ったのはベッドの上でザッハが凛子を受け止めたことだった。

きつく抱かれて凛子は目を白黒させる。

「なんてことをするんだ。怪我をしたらどうする。」

顔がザッハの肩口のところにおしつけられて痛い。凛子からはザッハの表情は見えない。

ザッハの紺色の服はかっちりして見えるのに、布地はとても柔らかかった。

ザッハの心臓の音は心配したのだと凛子に伝えている。

「ごめんなさい。」

思わずザッハに神妙に謝った後、ふと人の気配を感じて戸口のところに目をやる。

扉の前にあっけにとられた顔をした見知らぬ男が立っていた。

くすんだ金色の髪を後ろで1つに縛っている。

屈強な体つきをした、見るからに軍人っぽい男の人だ。

身長が高い。190cmくらいはあるだろう、もしかしたら2m近くあるのではないだろうか。

模擬試合に出たことがある騎士の人かもしれない。

息をはいて、やっとザッハが腕を解いた。

「リンコ、彼はデロイト。さっきいってた模擬試合の経験者だ。」

ザッハが立ち上がる。差し出された手に掴まって凛子はベッドから降りた。

――やっぱり、そうか。それにしても大きな人だな。

凛子はザッハに軽く頷いてデロイトと呼ばれた騎士に近づく。

右眉の上に斜めに走った傷がある。

精悍な顔だちなのに茶色の目は垂れ目でどことなく愛嬌があった。

少し面倒くさそうに軸足をずらして立つ姿が飄々とした雰囲気を漂わせている。

近づいてくる凛子を見てデロイトは困ったように頬を掻いた。

「はじめまして、デロイトさん。リンコといいます。よろしくお願いします。」

凛子が頭を下げると、デロイトがようやく口のなかでいや、と呟いたのが聞こえた。

「はじめまして、私は騎士団3番隊隊長のデロイトだ。君がザッハ様の命の恩人か。」

デロイトは凛子を上から下までゆっくりと眺めて、それから軽く溜息をついた。

溜息をつかれても、怒る気にもなれなかった。彼の気持ちは良くわかる。

デロイトはリンコの後ろで上着をはたいて身なりを整えているザッハに軽く肩をすくめてみせた。

「ザッハ様。やめておいたほうがいいんじゃないですかね。怪我させたくないんでしょう。」

デロイトはおそらく親切な人だ。

確かに彼と戦うなんて無茶だ。体格差がありすぎる。普段ならありがたくその親切を受け入れたいところだ。

デロイトの腰にある剣の柄がくすんでいるのが目に入った。使い込まれている。

それからちらりとデロイトの全身を見た。崩した格好で立っているのに隙がない。

デロイトはたぶんとても強い。

凛子はこんな熊のような大男と戦わねばならぬ事態を招いたことを少し後悔した。

――命をかけてくださるおつもりがある、と。

執事のエスタが言った言葉が脳裏に蘇る。

――本当に死ぬかもしれない。

模擬試合はこんな熊とかゴジラみたいな大男のオンパレードに違いない。

凛子は1度目を閉じた。それから目を開ける。後で佇むザッハを振り返る。

凛子に向かってザッハが軽く微笑んだ。

だが、引こうとは思わない。

決めたことだ。

「私は模擬試合に出て、護衛として雇われるつもりです。

 ご迷惑をかけますが、剣の試合をしていただけますか。」

凛子は壁際に落ちている剣を拾いにいくと、そのまま振り返ってデロイトを見た。

「殺されても文句はいいませんから。」

デロイトが息を呑む気配がした。

この剣、魔物ってばれてないといいけど。凛子は剣の柄の石を隠すように握った。

凛子は、くらり、とよろめく。黒い髪が一瞬、空を切る。

――とてつもなく眠い。

あたりまえか、と凛子は剣を杖がわりにして、かろうじて踏みとどまった。

人間の姿のリュクセイルに初対面。ザッハと城へ馬で強行軍。意地悪女と丁々発止。

ファーストキスにセカンドキスに強姦未遂。僅か1日。

――「24(TWENTY FOUR)」も真っ青のハードな展開だ。

とりあえず寝させて欲しい。

「ところで、試合って明日でもいいですか。すごく眠い。」

前のデロイトと後ろのザッハを交互に見ながら、凛子は呟いた。ザッハが凛子を気遣うように微笑んだ。

「そうだね。今日はもう遅い。試合は明朝にしよう。」

「わかりました。おやすみなさい、ザッハ……様。明日よろしくおねがいします。デロイトさん。」

デロイトの手前を考えて、ザッハに様をつけると、ザッハがくすりと笑うのが見えた。

ザッハがおやすみ、とつぶやいて、外に出た。

先に廊下に出ていたデロイトが静かに扉を閉めた。

凛子は扉が閉められると同時にベッドに倒れこんだ。

「確かに変わった子供ですね。」

遠ざかる足音とデロイトの思案するような声が聞こえた。

――私は普通の女子高生だ。変わっているわけでも子供というわけでもない。私が子供なら私にキスしたザッハはロリコンだ。

深い眠りの淵に沈みながら凛子はひとりごちた。

夢も見ない暗闇。

蝋燭の明かりも消えた真夜中。

ざわざわとした胸騒ぎに凛子は目を覚ました。薄目をあけて周りを見渡すと、手元にあったはずの剣がなかった。

窓から入る月光が、部屋をかすかに照らす。静寂の中に響く不思議な旋律。

ベッドから起きて見上げた窓に、少女の姿をしたリュクセイルが腰掛けている。低い旋律は少女の唇から漏れていた。

凛子は小さく息をはいた。

「リュクセイル。」

凛子の呼ぶ声にリュクセイルが振り返った。ふわり、と窓から飛び降りて、ベッドの前に降り立つ。月光に揺れる金色の巻き毛。

ぽたぽたとしずくがこぼれて、リュクセイルの全身が濡れていることに気づいた。

「どこかにいってたのか。」

凛子の問いにリュクセイルは曖昧に微笑んだ。

「ちょっと散歩ついでに水浴びを。」

月の影になっていてその表情ははっきりとしない。水を含んだドレスが滑らかな肌に巻きついている。

「びしょぬれじゃないか。」

凛子は寒そうなリュクセイルの姿に呆れる。シーツをはがしてリュクセイルの頭からかぶせる。くつくつと声を出して笑う声が聞こえた。

「心配しているのか。大丈夫だ。私は病になどかからぬ。お前は明日先ほどの大きな男と剣を交えるのだろう。早く寝るがいい。」

リュクセイルの態度に何か妙な違和感があった。その正体がわからなくて凛子は眉を顰める。

「寝られぬのなら添い寝をしてやってもいいが。」

少女の姿のままリュクセイルが嫣然と微笑んだ。鮮やかな金色の髪がシーツの間からこぼれた。

赤い瞳が闇に光る。夜行性の獰猛な肉食獣の瞳。怖いのに目を離すことができない。

凛子はベッドにもぐりこんだ。

「いらない。間に合ってる。」

凛子の言葉に咽喉の奥で笑うと、リュクセイルは自らの黒いドレスに手をかけた。

ぽとり、と剣がシーツの上に落ちる。凛子が剣を胸元にひきよせると、水滴がいくつかこぼれた。

剣の柄に埋め込まれた赤い石が輝きを増しているような気がした。

ぞくりとする。

――リュクセイル

凛子は剣を握り締めた。

――私はきっとお前を嫌うことができない

それは確かな予感だった。赤い瞳。柘榴のような双眸。死にかけていた黒い猫。

――人の命は効率のいい餌だ。

なぜ、リュクセイルのその言葉を、今、思い出すのだろう。

「リュクセイル、お前が本当に黒い猫ならよかったのにな。」

凛子は剣に向かって溜息まじりに囁くと目を閉じた。


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