28. 生きる為の算段と道連れの騎士と水面に映る月(ザッハ視点)


騎士団の宿舎は城からそう離れていない。

だが、ザッハが訪れた時にはもう一面の闇が辺りを覆っていた。

石造りの無骨な3階建の建物。

外見は城と大差ない。

明かりがついた鍛錬場からは剣を打ち合う音が聞こえる。

剣の練習をしていた頃の記憶がふと蘇って、ザッハは懐かしさを感じた。

とめる騎士達の声を無視して廊下の奥の部屋まで一気に進むと、扉を開けた。

――あいかわらず装飾が過多な部屋だ。

壁一面に張られた目が眩むような下品な赤い布。

部屋の四隅に置かれた悪趣味な鎧と壁に掛けられた実用性に乏しいたくさんの剣。

「これは、ザッハ様。わざわざお出でにならなくても、こちらから伺いましたものを。」

大きな木製の机から立ち上がってザッハの方へと歩いてくる男の声は震えている。

「ご無事でなによりでした。」

青い顔のまま跪いて深く頭を下げる騎士団長にザッハは無表情に頷く。

「ああ、大事無い。心配をかけてすまない。」

男は50代半ば、今回ザッハの救出に兵を出さないことを決定した最終的な責任者だ。

未だ子供のないザッハが死ねば、現領主の弟であるギムザが次期ラーセルの領主となる。

誰だとて己の地位は惜しい。

ザッハは薄く笑った。

ザッハとギムザのどちらが次期領主となるのか。

可能性の高いほうに賭けたこの男の心情は理解できる。

テントで転がっていた時、ザッハ自身ですら死は避けがたく思えた。

「逃げましょう」

鮮やかな黒い瞳に映る光。

運命を紡ぎし楔の少年。

――リンコ、君が与えてくれた命だ。せいぜい大切にするとしよう。

己の今後に戦々恐々とする男の顔をザッハは一瞥した。男の額から汗が噴き出している。

賭けに負けた者は詰まねばならない。

――残念だったね

「次期領主が人質となっている状況で、盗賊の討伐に動かない騎士団では具合が悪いな。

騎士団長には責任を取って辞めていただこう。」

淡々と告げたザッハに、男はそのまま頭を下げて了承した。

安堵の溜息が漏れたのは、死罪を覚悟していたからだろう。

ザッハはゆっくりと身を翻して戸の外に出た。

戸の横の廊下で腕組みをして壁にもたれている男と目が合う。

年は30に手が届くか届かないかだろう。

筋骨隆々たる腕は、男が鍛錬を積んだ騎士であることを物語っている。

くすんだ金髪は無造作に後ろで縛ってある。茶色の目は垂れ目、人を食ったような笑顔。

右眉の上に斜めに走った傷が、男を印象的に見せていた。

男はザッハを見て組んだ腕を外すと、跪いた。

「やあ、デロイト。ちょうど良かった。君を呼ぼうと思っていたところなんだ。」

ザッハはデロイトと呼んだ男に立ち上がるように促した。並んで立つとデロイトの方がザッハよりもだいぶ上背がある。

「なにか私に御用でしょうか。」

デロイトと呼ばれた男の口調は丁寧ではあるが、丁寧というより慇懃無礼といったほうがふさわしいかもしれなかった。

畏まった様子には見えない。あまり、厄介事にかかわりたくない、という気持ちが透けて見えた。

「こうやって君と2人で話すのは、初めてだね。デロイト。廊下で立ってする内容じゃないんで、城の方へ一緒に来てくれないか。」

ザッハの言葉にデロイトが精悍な顔を顰めた。

「どういうことでしょうか。」

デロイトの言葉をまたずしてザッハは廊下を入り口の方へと歩きはじめる。

「道々でしゃべらせてもらう。」

デロイトが小さく口の中で舌打ちをしてから、後を追ってくるのがわかった。

「ザッハ様にこのように強引なところがおありとは知りませんでした。」

デロイトの態度に苦笑しながら、ザッハは呟いた。

「そうだね。いつ死んでもいいかと思っていたんだが、そういうわけにはいかなくなった。

少なくとも半年は生き延びる必要がでてきたんでね。」

デロイトが驚いたように、立ち止まった。もう宿舎の入り口まで来ていた。

「何を驚くことがあるんだい。君だって知っているだろう。叔父上が私を弑そうとしていることぐらい。」

扉に手をかけながらザッハが面白そうに問いかけると、デロイトがはっと気づいたように、慌ててザッハの先に進んで扉を開けた。

先に外に出てからデロイトは探るようにザッハを見た。

「いえ、あまりにも率直にお話になるので、驚いただけです。今まで、本心をお話になるのを聞いたことがなかったので。」

デロイトの後に続いて外に出ると、ザッハは木々の香りのする夜の森の空気を吸い込んだ。

外はもう夜の帳に包まれている。月の明かりがぼんやりと道を照らしていた。

この先の城までそれほどの距離はない。

「そうだね。信頼できる騎士、と思ったときになぜだろうね。君のことしか思い浮かばなかった。

私は君を気に入っている。他の騎士と毛色の違うところがね。」

ザッハはデロイトに向かって微笑んだ。水色の瞳は屈託なく笑うと驚くほど優しさが滲む。

それを見たデロイトが意外そうに傷のある片側の眉を上げた。

ラーセルの騎士団は10個の隊で構成されている。

それぞれ隊の人数は15人。それぞれ騎士は配下に十数人単位で憲兵と呼ばれる兵士を持つ。

戦時以外は街の治安を守るのが主な仕事だ。

デロイトはスラムあがりという特殊な経歴にも関わらず、人望が厚く、2年前から異例の若さで3番隊の隊長を務めている。

騎士は選りすぐりのエリートだ。代々騎士である上流階級の者が多いが、平民からの登用の道も開かれている。

だいたい平民出身の騎士と上流階級出身の騎士は反目しあうことが多い。

デロイトは平民出身の騎士から絶大な信頼を得る一方で、上流階級出身の騎士達にも知己が多いようだった。

「それは、私にザッハ様の側につけ、とおっしゃってるわけですかね。」

デロイトが首を傾けつつ口にした言葉にザッハは苦笑しつつ、首を振った。

「違うな。私は君を味方とすることに決めた。君には選択の余地はない。」

デロイトが眉を顰めてザッハを見た。

「明日、君を騎士団長として指名する。みんなは君が私の側についたと認識するだろうね。」

ザッハが人の悪い笑顔で呟いた。

「指名するとおっしゃるなら、否やを言う立場にはございませんが。

私は、今後あなたと一蓮托生ということになるわけですか。」

厄介事に巻き込まれたと自覚したらしいデロイトが夜空を仰いで嘆息したのが見えた。

ザッハも夜空に目をやる。木々の間にちりばめられた星の光は美しかった。

――リンコ。君を帰すまで無事でいられるように手を尽くすよ。

半年間は少なくとも殺されるわけにはいかない。

信頼できる人間で周りを固めていく必要があった。

デロイトには申し訳ないが、明日にも殺されかねない私と道連れということになる。

「ところで、新騎士団長殿、早速、君に頼みたいことがあるんだ。」

デロイトが一瞬嫌そうな顔をしてから、たくましい腕を頭の後ろで組んでザッハを見た。

「何のお話ですかね。」

――まがりなりにも、私は君の主なんだが。本当に騎士らしくない男だ。

ザッハは首を振った。それからリンコのことを思い出して、微笑んだ。

――リンコも全くこっちの地位に頓着していなかった。

ザッハの目に暖かな光が宿る。

デロイトがそれを見て、目をしばたいた。

「剣の腕で知られている君に、今から会う少年と模擬試合の真似事をして欲しいんだ。」

デロイトが不思議そうな顔をする。

「そんなことですか、かまいませんが。いったいなぜ、そんなことをする必要があるんで。」

ザッハは肩をすくめた。

「その少年は次の模擬試合に出るといってる。やめさせたいんだ。」

デロイトはますます解せないという顔になったが、そのまま黙った。

ザッハはデロイトに真面目な顔で忠告した。

「試してみて無理なら諦めると言ってる。ただ、私を盗賊から助けたのは、その少年だ。

武術の腕は確かだった。気を抜かないで真剣にやって欲しい。」

ザッハの言葉にデロイトが驚いた顔をした。それから眉を顰める。

「剣で盗賊とやりあって、ザッハ様を助けたというわけですか。それはたいしたもんだ。

しかし、本気でやって怪我をさせてもいいんですかね。かわいそうじゃないですか。」

ザッハは首を振って、淡々と否定した。

「もしかしたら、真剣にやっても君と互角かもしれない。とても戦闘に慣れているようだった。」

デロイトは少し鼻白んだ顔をしたが、城が見えてくると、気を取り直したように軽く笑った。

「そこまでおっしゃるんなら。真剣に試合するとしますか。しかし、ザッハ様、あまりお1人で出歩かれない方がよろしいですよ。」

ザッハとデロイトが連れ立っているのを見て、驚いた顔をした衛兵があわててザッハに跪く。

「以後気をつける。門を開けてくれ。」

後ろの言葉は衛兵に向かって告げて、ザッハは夜の闇を1度振り返った。

木々が夜空よりも一層暗い影を落とす。

周囲の堀も黒い闇に沈んでいる。

漆黒の闇は黒いドレスを着た魔物を彷彿とさせた。

ただ、水のさざなみに揺れる水面の月だけがぽっかりと明るい。

月の光はリンコの瞳の強い輝きに似ていた。


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