27. 凶悪な瞳と迷走する思いといつかの幸せ(ザッハ視点)


ザッハは居間から出た後、廊下で控えていた執事のエスタに、

リンコを自室の隣の部屋に案内しておいてくれるように頼んだ。

ついで、ギムザ以外の親戚連中も丁重に追い返すように指示すると、

そのまま自室へと足を向けた。

エスタがザッハを呼び止める声が聞こえた。

だが、ザッハはあまり冷静に話をできる気分ではなかった。

薄卵色の扉を開けて、後ろ手に閉める。

壁は扉の色と同じ薄卵色、深い緑の線で複雑な模様が施されている。

床に敷き詰められた毛の厚い絨毯の色は深い赤。

木で出来た、精巧な草花の模様の彫られた本棚とベッドには金色の装飾がところどころに見える。

本棚に並べられた無数の古い文献は地下の書庫から移してきたものだ。

余り無駄な装飾のない、どちらかといえば簡素な寝室。

見慣れた光景だ。

ザッハは口を押さえてベッドに座り込んだ。

――いったい、自分はどうしてしまったのか。

あの時、宿屋で魔物と接吻をしたとリンコが話した時。

一瞬、その唇が艶かしく見えてぞくりとした。

そんなものは気の迷いだと打ち消した。

実際、城に向かう道中、馬に一緒に乗っていても全くそのような感情はなかった。

馬に顔を摺り寄せるリンコを微笑ましいと思う気持ちに全く疚しいものはなかった。

――それなのに。

ザッハは自分のした事をいまだ信じることができずに首を振った。

ザッハを守りたいと言い切ったリンコの恐れを知らぬ黒い瞳。その瞳に浮かぶ鮮烈な光。

伸ばした手に触れた柔らかな頬の感触。

リンコの命がを失われるかもしれないと思ったとき、自分の指先が震えているのに気づいた。

僅かに開かれた唇。

どうかしていると思いながら目が離せなかった。

リンコの唇に自分の唇を重ねた瞬間、強い衝動が胸を突いた。

その驚愕。

――自分の行動が理解できない。

忘れて欲しい、というザッハの言葉にリンコは首をかしげてから頷いた。

あどけない仕草。

少年の無邪気な表情を守りたい、と思った。それなのに

無邪気な表情を歪ませてみたいという気持ちを同時に感じた。

耳が朱に染まる。

ザッハはベッドに仰向けに倒れこんだ。

美しい草花の彫刻の施された高い天井を茫然と見つめる。

なんてことだろう。

自分の気持ちを説明することができずザッハは途方にくれた。

テレーゼを失ったあのときから、誰かと肌を重ねることはあっても、

執着を持つことなどなかったというのに。

――出会って間もない異国の楔、しかも少年。

楔は魔物すら魅了する、人を魅了することなど造作もないことなのかもしれなかった。

ザッハは視線を本棚の古い書物に移す。

形式上ザッハの父親にあたる危篤状態の現ラーセル領主はガヴァサイルにおける魔物研究の第一人者として知られている。

ガヴァサイルの王族に関わる機密として決して一般に公開されることのない

魔物に関する様々な資料や書物はこの城の地下の書庫に収められている。

21年前の内乱時、王宮から密かに移されたものだ。

魔物に関する膨大な資料、その殆どがガヴァサイルの王族を楔とする白き魔物に関する記述だ。

リンコを祝福したあの赤い瞳の魔物の記述も探せばどこかにあるかもしれない。

1度探してみる必要があるだろう。

ザッハはゆっくりと目を閉じる。

血の色を連想させるような赤い双眸。

敵愾心を滲ませた視線。

魔物はザッハのリンコへの執着に気づいていたのだろうか。

内乱により王族は殆どが殺され、

ガヴァサイルは魔物の加護を失った。

――正確には9年前に失ったというべきだが。

ザッハは瞳を昏く翳らせた。

そして今、傍らに楔の少年がいる。

――巡りあわせとは皮肉なものだ。

相手はまだ幼さの残る少年。しかも半年後には自分の前から去る。おそらく二度とは会えまい。

胸の中に灯った明かりは暖かかった。

このままでは、きっと、帰したくなくなってしまう。

そんな気がした。

ザッハは目を開けて上半身をベッドの上で起こした。

棚の中から動きやすい服を選んで身につける。

それから、棚の上の何本かの剣から、華美な装飾がない実用的な剣を選んで腰につけた。

リンコは強い。盗賊と剣を合わせた時の流れるような所作は鮮烈に脳裏に焼きついている。

かなり腕の立つものに相手をさせねば、出場を辞退することを納得しないだろう。

模擬試合に出場したことのある騎士の中から信頼の置けそうな者を何人か思い浮かべる。

静かに戸を開けた。

小さな窓から漏れる夕日は既に微かな光を落とすだけだ。廊下の赤い絨毯が暗く翳る。夜が近い。

この切なさもこの痛みもいつかは消える。

目を伏せて、小さく笑う。自分はたしかに間抜けなのかも知れなかった。

――全く楔は人たらしだ。あの瞳は凶悪だ。

リンコは半年後にはザッハの傍から居なくなる。

そうなれば、リンコの人生はザッハの人生と交わることはない。

――慈しみ深き大地の女神トーザよ。あまねく神々よ。願わくば私がいないリンコの未来に幸せがあるように。


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