24. 逃亡勧告と出場表明と大人の階段(凛子視点)


ザッハは椅子に腰掛けて、頭をかかえている。

凛子はザッハの向かいに置かれた椅子に腰掛けている。

柔らかいビロードの布の感触がして座り心地は悪くなかった。

しかし、沈黙が重たい。所在無いので手を組んでみる。ちらりとザッハを見た。

「模擬試合をどんなものだと思っているんだい。」

まだ俯いたままのザッハの声は語尾が掠れていた。

ザッハがしゃべってくれたことに対して凛子は少しほっとする。

「剣の手合わせみたいなものじゃないんですか。」

凛子も眉間に皺をよせて、答える。

その凛子の声にザッハがゆっくりと顔を上げた。

水色の瞳が目が据わっている。

――怖い。普段穏やかなだけによけい怖い。

凛子はへらへらと笑って見せた。

ザッハの目が余計に険しさを増したので、凛子は両手をあげて、ふざけてすみません、と呟く。

「模擬試合っていうのは、殺し合いだ。君が強いのは知っている。

でも、私を助けてくれた時、君は盗賊を殺すのを躊躇してるように見えた。

私の勘違いだろうか。」

ザッハが膝の上で手を組んで、薄目で凛子を窺うように見た。

――ああ、気づいてたのか。

人殺しに慣れている、と凛子がザッハのことを感じていたように、

ザッハが凛子について人殺しに慣れていないと感じたのかもしれない。

凛子の沈黙を答えと取ったのだろう。

椅子から立ち上がったザッハが近づいてきて凛子の前に跪いた。

見上げられるような姿勢になる。

――前もあったな、この構図。なんか居心地が悪い。

こころもちザッハから遠ざかるように身体をそらして凛子は椅子の背もたれに背中を密着させた。

「リンコ。ラングル亭の近くに私が隠れ家にしている住居があるから、そこで半年間過ごすといい。

模擬試合の方は、君が怖くて逃げ出したということにしておくよ。」

ザッハが右手をのばして、凛子の頭をくしゃりと撫でた。頭をなでるのは、凛子を子供だと思っているからだろうか。

それともザッハの癖なのだろうか。

水色の柔らかな瞳に優しい光が宿っている。穏やかな表情はいつものザッハだった。

ザッハは自分のことよりも凛子を案じている。

そんな物騒なものに出ないですむなら、そのほうがいい。

その隠れ家に逃げこんで半年過ごして、日本に帰れるならそうしたほうがいい。

その気持ちはとても強い。

凛子は1度目をつむり、そしてゆっくりと目を開けた。

「模擬試合は殺したほうが勝つっていう決まりなんですか。」

心を決めてザッハに尋ねる。口に出してしまえば後戻りはできない。

「相手が敗北を認めるか審査人がこちらの勝利を宣言するか、どちらかが勝利の条件だ。

そうはいっても模擬試合の度に必ず死者がでるんだ。

模擬試合の上位者は、好待遇で各領の騎士として雇われるのが通例でね。

平民から騎士になるのはこの模擬試合で上位に入ることがほぼ唯一の方法なんだ。

殺しても罪に問われない。皆相手を殺すつもりで斬りつけてくる。

だから、君を出すわけにはいかない。君が相手を殺すことを躊躇した瞬間に殺される。

君が楔だとしても危険すぎる。」

ザッハの声は優しかったが、内容は殺伐としたものだった。

――でもね、ザッハ。

凛子はザッハの目を正面から捉える。

――私が逃げてあなたが命の危険にさらされるのでは、意味がない。

「相手を殺さないで勝てるのなら、その模擬試合にでようと思います。」

強い調子でザッハがとめる。

「駄目だ。」

視線が絡み合った。

「私が護衛にならなければ、ザッハのところに代わりの護衛が差し向けられて、

命を狙われるんじゃないんですか。」

凛子の静かな問いかけに、一瞬ザッハの目が逸らされる。

――やはり、そういうことだ。

「私は、反対を押し切って君を側に置くことができないほど、立場が弱い。君を巻き込んだことを申し訳なく思う。

大丈夫だ。命を狙われるのは慣れているから。」

自嘲するように苦笑するとザッハが俯いた。

凛子はザッハに微笑んでみせた。

「私は、攻撃をよけるのすごく得意です。たぶん殺されることはないと思います。

試してくれていい。模擬試合の上位者が騎士として登用されるなら、ザッハのところにもいるんでしょう。

模擬試合に出たことある人。」

凛子はザッハを強い目で見つめた。

自信はないけれど、自信があるようにみえればいい、と思いながら。

「もちろんいるよ。でも、だめだ。」

そこで、ザッハは言葉を切ると、なにかを恐れるように凛子の頬に右手を触れた。

「君が危険な目にあうことはない。」

凛子は、ザッハの指が少し震えているのを不思議に思った。

「ザッハ、あなたが命を狙われているなら、助けたいと思う。

あなたが、私を助けようとしてくれたように。」

凛子の声には迷いがない。

もう、決めたことだ。

多少の不利益は厭わない。

殺されることはないはずだ、よけられさえすれば。

それとも、この世界ではザッハ程度の強さが標準的なのだろうか。

それは、ちょっと困るな、と思う。

「リンコ、なぜだろうね。君をみていると大丈夫な気がする。でも私が嫌なんだ。」

ザッハがもう片方の手も凛子の頬に伸ばした。

ザッハの視線が熱っぽさを帯びた。

リュクセイルに接吻されたことを話したときも、一瞬こんなふうに見つめられた。

既視感を覚える。

「君の存在が失われるのは。耐え難い。」

ザッハは水色の瞳を一瞬迷うように彷徨わせ、それからひどく真剣な眼差しで凛子を見た。

「私はどうかしている。」

困惑したような声だった。けれど、甘い。

――ザッハ、なんか、怖い。

凛子は蛇に見つめられた蛙のように固まった。

――このパターンは

――やはり、そうか。

2度目だからであろうか。

凛子はザッハの唇が自分の唇に重ねられるのを比較的冷静に受け止めた。

ザッハ、いったい、なぜ。

凛子の困惑した表情を見て、ザッハが真っ赤になった。

「すまない。私は、何を。忘れてくれ。」

――それはひどい。

命の危険を感じて、性欲が高まったとでもいうのだろうか。

そういう話を聞いたことがある。

「わかりました。」

釈然としないものの凛子は一応うなずく。

「リンコ、君の気持ちはわかった。模擬試験に出場したことのある騎士と1度手合わせしてみるといい。

それで、納得したら出場はあきらめてくれるね。私はちょっと着替えてくる。君の部屋はエスタに案内させるようにするから。」

ザッハの顔は真っ赤なままだ。

凛子から視線をそらして、早口でそれだけ言うと、そのまま早足でザッハは広間の戸を出て行った。

残された凛子は茫然とそれを見送った。

――2度目のキスはセカンドキスとでもいうのだろうか。

これが大人の階段をのぼるということなのだろうか。

ちょっと違うのではないか、そんな疑問が凛子の胸に浮かんだ。


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