22. 馬と山羊と執事 (凛子視点)


ラングル亭からひたすら馬に乗って半日。

店が並ぶ賑やかな街の中心部から郊外へと向かうと人通りも少なくなってきた。

――馬

頭の中には馬と訳されるものの、凛子とザッハが乗っている生き物は、微妙に凛子の知っている馬とは違っていた。

よく見ると頭に毛の生えた小さい角が2本生えている。それに鬣がとても長い。凛子は首をひねる。

――馬か

でも穏やかでとても優しい目をしている。

黒くて澄んだ目。

馬の上ですべって鬣を思い切り引っ張ったときも一瞬足を止めただけで暴れたりしなかった。

凛子が首に抱きつくと目を細める。

――生き物ってあったかい。

ふと腰にくくりつけた剣に目をやる。

リュクセイルに抱きしめられたあの時。

リュクセイルの体温は低かったけれどそれでも温かかった。

生き物のぬくもりは生きていることの証だ。

温かさは安堵をもたらす。

「何をしてるんだい。」

ザッハが興味深そうに馬の首にすがりつく凛子に話しかけてきた。

ザッハはずっと固い表情をしている。

――少し肩の力をぬいたらいいのに。

でも、凛子に話しかけるときの表情は少し柔らかい。

「ロードスって隣の国ですか。」

ザッハの問いに答えずに、気になっていたことを聞く。

「ああ。ガヴァサイルの西隣の国がギーシェン、東隣の国がロードス。

この3つが3大国と呼ばれている。

ロードスとギーシェンは王政が敷かれている。

ガヴァサイルは6人の領主による合議制だ。

もっともガヴァサイルも20数年前までは王政だったけれど。」

ザッハの水色の瞳に一瞬、前にみた冷たい光が浮かんで消えた。

「ロードスとは長年領土をめぐって小競り合いが続いていて、今も緊張状態にある。

きな臭い噂はそんなに珍しいことじゃない。まあ、いつ攻め込まれてもおかしくないな。

ちなみにこのラーセルは6つの領のうちで唯一ロードスと国境を接している。

戦になれば、まず戦場になるのはラーセルだ。」

――嫌な予感ほどよくあたる。

凛子は盛大に顔をしかめて天を仰いだ。

「心配かい。大丈夫だよ。戦争になったらリンコは私が責任をもって逃がすから。」

凛子が顔をしかめたのを見て、ザッハが柔らかく微笑んだ。

ザッハに頭をくしゃりと撫でられる。

「護衛として雇われた私を、ザッハが逃がしたらおかしいんじゃないですか。」

憮然とする凛子を見てザッハはおかしそうに笑った。

「まあ、そういう考え方もあるね。」

風が吹く。ザッハの焦げ茶色の髪を揺らす。

どうしてザッハはこんなに落ち着いて戦のことを語ることができるのだろう。

――死ぬことが怖くないのだろうか。

日本にいるときは想像もしなかった。

自分が戦にまきこまれて死ぬ可能性があるなんて。

けれど、と凛子は目を瞑る。

想像しなかっただけで、もとの世界でも戦争は常に起こっていた。

今、このときでさえ。地球のあちこちで人は絶え間なく死んでいるはずだ。

絶望と怒りと悲しみの中で。人の愚かさがたくさんの死を招くことは特別なことではない。

でも、

――死にたくはない

戦が始まったらすぐにどこかに逃げよう、と決心する。ただ、

――ザッハは領主の息子だという。

ザッハの水色の瞳は温かくこちらを見ていた。

――戦にザッハがまきこまれたときにそれを見捨てて1人逃げることができるだろうか。

死にかけた黒い猫。殺されかけていた人質。手を伸ばすことの意味。

――でも、何度同じ場面を繰り返してもきっと自分は同じ選択をするのだ。

それだけは、わかっていた。

――戦は勘弁して欲しいな。

凛子は切実に祈った。

やがて、森が見えてきた。

整備されたようにすっきりとした森の中に何を目的としているのかわからない色々な建造物が建っている。

競技場のような石造りの大きな丸い建物。

どちらかというと無骨なつくりの建物が多いだろうか。

馬を放した牧場のような場所もある。それとは別に山羊に似た茶色い太った生き物もいた。結構大きい。

――あれは、肉用かな、それとも乳用かな。

朝食べたバターの甘さを思い出す。口の中ですっと溶けた。

雄大な自然に抱かれた牧場で育った健康な山羊に似た動物から作られたバター。

――ああ、お腹すいてきた。

けわしい崖から流れ出る滝を通り過ぎる。

石でできた土台に石造りの大きな建物が目の前に姿を現した。

窓が少なく石で組まれた何層もの壁。周りに水が入った深い堀がある。

がっしりとしたとても無骨な建物だった。

装飾のない、石の色がむき出しの建物。

要塞、そんな感じの言葉がしっくりとくる。

「これは、家じゃなくて城、だよね。」

凛子のつぶやきにザッハが馬の手綱を引きながら、こともなげに答える。

「まあ、そうだね。」

警備していた胸や手に武具をつけた男達がザッハを見て驚いたように固まった。

何人かが扉を開けて奥に走っていった。

「ザッハ様。」

残った男達は膝をついて頭を下げる。

――ザッハって身分が高い、のか。

凛子はその姿を、時代劇ドラマのようだ、と馬の上から眺める。

ザッハはけわしい表情のまま馬から降りると、凛子の手をとって降りるのを助けてくれた。

家の奥から目の下にひどいくまをつくった、50代半ばぐらいの男がザッハに駆け寄った。

黒い髪は少し白髪が混じっていて、顔色は青白い。細身で生真面目そうな雰囲気がにじみ出ていた。

あまり感情をみせないように努力はしているようだったが、ザッハを見て酷く安堵しているのがわかる。

「ギムザ様がいらっしゃってます。兵を出すな、先に情報収集をしろとおっしゃって。

身代金を用意しろという手紙が街中のギムザ様の別邸に入ったという報告をうけてから丸3日、もしや、もう、と。」

その男の人が悔しそうにザッハに告げる。

――兵を出すな、って見殺しにする気ってことだよね。

何者か知らないが、そのギムザという奴は間違いなくザッハの敵だな。

と凛子は肩をすくめた。

凛子が偶然居合わせなかったらザッハは思惑通り死んでいたことだろう。

ギムザが何者かは知らないが、ご愁傷様だ。

「ザッハ様、危ないまねはよしてくださいと何度も申し上げているはずです。」

初老の男はザッハに対してうらめしげにいいつのる。丁寧ながらも棘がある。

「ギムザがあせって尻尾をだしかけていたので、手のうちにのってやろうとして、このざまだ。少々焦りすぎた。」

少し申し訳なさそうにザッハが説明している。

――誰かの無茶を怒るのは心配だからだ。

「心配してる人いましたね。」

凛子がぽつりと言うと、ザッハが凛子を振り向いて、それから照れたように微笑んだ。

「そうだな。エスタを忘れていた。」

ずっと険しい顔をしていたザッハの水色の目に淡く優しい光が浮かんだ。

「そちらの方は。」

子供に見えるであろう凛子に対して、けげんな表情をしながらも、丁寧な態度で尋ねるエスタに凛子は好意を抱いた。

弱いものに対して誠実な人は信用できる、と凛子は思った。

「殺されそうになってるところを、助けてもらった。子供に見えるが、腕は保証する。

名前はリンコという。異国からきたそうだ。

当分他の騎士達のところではなく、私の部屋付きで護衛してもらおうと思っている。」

ザッハの言葉に驚いたようで、凛子の腰にくくりつけた剣にちらりと目をやってから、エスタが困惑したようにザッハを見上げた。

「助けてもらったとは。失礼ですが、まだ子供ではありませんか。」

ザッハが振り返って凛子をみた。

くすりと笑う顔は、屈託がなかった。それからザッハがエスタに向かって声を潜めるのが聞こえた。

「そうだろう。私も助けられたときは驚いた。だが、リンコは私の命の恩人なんだ。」

それは、秘密を明かすかのように楽しげだった。

エスタはそのザッハの表情をみて、一瞬驚いた顔をした。

「リンコ、執事のエスタだ。

私がいないときに何かあったらエスタに聞いてくれ、家のことは大概なんでも把握しているから。」

凛子はエスタとまともに視線があって軽く会釈する。

エスタは凛子の顔をしばらく見ていたが、何かを納得したように小さくにこりとすると、凛子に頭を下げた。

「そうですか。ザッハ様を助けていただいてありがとうございました。歓迎いたします。リンコ様。」

「いえ、こちらこそ。よろしくお願いします。」

――得体の知れない人間をそんなに簡単に信用するべきじゃない、と思うんだけど。

あまりにもすんなり凛子を受け入れたエスタに凛子は心配になる。

ザッハの表情が引き締まる。

「ところで父上の容態はどうだ。」

「意識はずっと戻られないままです。」

どうやら、ザッハの父にあたる領主は死にかけているらしい。

凛子はまばたきをして内心の驚きを隠した。

「そうか。」

ザッハはさして動揺するでもなく城の奥へと廊下を進んでいく。

それに遅れないように早足でついていきながら凛子は溜息をついた。

――確かに複雑な家庭環境だ


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