20. 名による拘束と意思をもつ力と雇用契約(ザッハ視点)


窓から入った風がリンコの黒い髪を揺らした。

「大丈夫か。」

ザッハは足早にリンコのもとに近づいた。

ベッドに腰掛けて、リンコに手を差し伸べる。

ザッハが肩にそっと手をやる。手の下で剣の赤い石がいらだたしげに光った。

リンコはしばらくその石をうらめしげに見ていた。

それから、何かを思い出したようにリンコの目は急にザッハに向けられた。

「それどころじゃない。ザッハ。半年後にはニホンに帰れるって、―――が。」

最後の言葉が聞き取れなくて、ザッハは首をかしげる。

リンコも驚いたように目をしばたかせて、それからもう一度口を動かした。

今度もやはり、リンコの声は届かなかった。

それでザッハは納得した。魔物に関する記憶をたどる。

「魔物の名か。魔物は名に拘束されるから、楔にだけ名前を教えるんだ。

 そして楔が他のものに名を教えないように術をかける。だから、発音も書くこともできない。」

「拘束っていうのは。」

もう一度口を動かして、確かめてから、リンコが尋ねた。

「名前を呼ぶものに逆らえないってことだ。」

魔物はそれほどまでに楔に囚われる。

ザッハは自分をみた魔物のいらだたしげな視線を思う。

楔が自分以外の者に心を許すことさえ認めたくないのかもしれなかった。

――まぬけ、はないと思うが。

妖艶な少女の口から漏れた捨て台詞を思い出して、ザッハはくすりと笑った。

――意外と人間くさい。

魔物に嫉妬されるとはいっそ光栄と思うべきなのかもしれない。

だが、あの金色の髪をした少女の赤い瞳にうつる禍々しい光。あれが魔物の本質だ。

人は畏怖する。生命を育む大地の力を、陽の力を、海の力を、その強大な力を。

時には神になぞらえる。

だが、それらに意思はない。

魔物には意思がある。

意思をもつ強大な力、それが魔物だ。

きっと、リンコは魔物の祝福を得るという意味をまだ分かっていない。

その強大な力を手にするということの意味。

――半年後か

こちらにいる間は自分が側にいて助けてやれるだろう、と思う。

そういえば、あれほど帰りたがっていたのに、リンコはひどく浮かない顔をしている。

「半年後には帰れると分かったのに、憂鬱そうな顔だね。なにか困ったことでも。」

リンコが溜息をついた。

「半年間の住居と食事をどうしようかと思って。」

ザッハは思わず吹き出した。

――明日からの生活

この少年が手にしている力の重さとは激しく落差のある悩みだ。

「かまわないよ。半年くらい。私の家にいるといい。」

はじめからそのつもりだった。

楔であることの意味を知らないリンコをこのまま放り出すのはあまりにも危険だった。

リンコにとっても、そしてザッハ自身にとっても。

「いや、初めはよくても、半年は長い。そのうち、このただ飯ぐらい、とか思われることになるんだ。」

リンコが小さな声で呟くのが聞こえた。

ザッハは思わず真顔になる。

それからベッドの上で身をよじって笑いをこらえた。

リンコの思考はどうなっているのだろう、と思う。

「私のことをそんなふうにみていたのか。心外だな。そんなことは思わないと誓うよ。

でも、リンコが心苦しく思うのならば、私が護衛としてリンコを雇おう。君の腕は確かだから。」

リンコは目を見開いて、それから怪訝そうな顔をした。

「ザッハは護衛として私を雇うような立場って、ことですか。」

リンコの問いかけに、ザッハは少し言葉に詰まる。

「私はこの街の領主の息子なんだ。」

連れて帰るつもりなら遅かれ早かれ分かることだ。

「どっちにしろ、早く帰る必要がある。

私の命と引き換えに身代金を要求されて、多分、大変なことになってるはずだから。」

――おそらく。親戚連中が集まっていることだろう。家督を巡る思惑を胸の内に持ちながら。

ザッハは水色の瞳が冷たく、すっと細められた。嘲るような笑みが一瞬浮かぶ。

途端に、鼻をつままれてザッハは驚いた。

「なに。」

鼻をつまんだリンコに視線をやる。リンコ自身も少し驚いた顔をしていた。

リンコはザッハの鼻をつまんだ手を離した。リンコの黒く深い瞳にふと目を奪われる。

「景気の悪い顔してると、不幸がよってくるらしいですよ。」

ゆっくりと諭されてザッハは脱力した。

――子供に諭されてどうするんだ、私は。

リンコはもしかして、私の心が読めるのではないか、とザッハは疑う。

ありえない話ではない。なにしろ、少年は楔なのだ。

リンコの行動や思考は突拍子がない、けれど、なぜか温かい。

「私が領主の息子ということはここではラングルしか知らないから、内密で。」

そっと、リンコの口に指をあてて、黙っていて欲しいということを伝える。

指が唇に触れたときあまり動じないリンコがなぜか酷くうろたえた。


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