19.朝の光と胸の痛みと理不尽な嫌味(ザッハ視点)


目が覚めたとき、身体は疲れていたけれど、気持ちはすっきりとしているのを感じていた。

――日の光を美しいと思ったのは、何年ぶりだろう。

窓を開ける。

おだやかな風が部屋の中にはいってきた。

商人や客が入り混じって活気に満ちた街を見下ろす。

さっき戸を開けた時、リンコはまだ眠っていた。

朝の光の中で、目をつむる少年は幼く、けれど侵しがたい空気を放っていた。

黒いまっすぐな髪。

――目を閉じると、印象が変わる

目立たないが整った顔は少女のようにも見えた。

12、3歳の頃は自分も少女と間違えられていた、とザッハは思い出す。

13の時に剣を習い始めてからはそのようなこともなくなった。

あの頃の自分を取り巻いていた侮蔑と嫉妬の渦。

いつまでたっても消えぬ胸の痛み。

――痛み

なぜか、あの痛みがなかった。

テレーゼがまだ側にいた頃、その微笑みを見るときだけ、胸の痛みが消えた。

テレーゼを失ってから、ずっと胸の痛みは月日とともに重さを増していた。

救いを求めて伸ばした手の行き場。

あの少年の存在がひどく大きく感じられて、ザッハは首を振る。

――リンコは、いずれ、どこかに帰るのだ。

ザッハは少年の姿を思い浮かべる。洋服が、酷く汚れているのが気になっていた。

自分の服も泥や血がこびりついていて、ところどころ擦り切れている。

――着替えの服を買っておこう

盗賊から取り戻した貨幣の入った袋を手にして、木製のよく磨かれた階段を降りる。

「おはよう。昨晩は急に来て角の続き部屋を占領して悪かったね。おかげでとてもよく眠れたよ。」

ラングルに一言挨拶すると、朝から機嫌のよい顔でラングルが笑う。

「それは、ようございましたな。おでかけですか。」

ザッハも笑って頷くと、ラングルに言付けを頼んでおいた。

「ちょっと買い物にいってくる、

 連れに聞かれたら、すぐ戻ると伝えてやってくれ。」

愛想よくうなずいたラングルを背にザッハは街へ出た。

店屋の連なる通りは朝から活気に満ちていた。

いろいろな食べ物の混ざった臭い。

人の行きかう熱気。

いつもなら、色々な店の品を覗きながら歩くのだが、今日は

リンコが起きるまでには帰るつもりだった。

なじみの服屋に入って適当に見繕って、そこで着替えを済ませる

「旦那。今日は御仕立てになさらなくてよろしいんですか。」

商魂たくましい店主が、もみ手をして話しかけてきた。

ザッハは苦笑いをして、もともと着ていた服を差し出す。

「悪いが服をひどく汚してしまってね。

急場しのぎというわけだ。また今度仕立てにくるよ。

この服はこちらで処分しておいてくれ。」

リンコの分を自分の時よりは幾分時間をかけて選び、包んでもらうとかなりの時間がたっていた。

――もう起きているかもしれない。

急ぎ足で階段を上って、自分の部屋を素通りしてリンコの部屋へ向かった。

いまだ寝ていることを考慮して静かに部屋の戸を開けて、

ザッハは動きをとめた。

ベッドの壁際で座るリンコの表情をなくした顔、密着して向かいあう黒いドレスを着た金色の髪の少女。

10代の半ば程の歳に見える妖艶な少女がリンコの肩に手を回して囁く声が聞こえた。

「リンコ。早く大人になるといい。」

その声はからかうようでありながら、

ザッハの胸まで痛くなるほど、痛切なものが込められていた。

軽口におしこめられた激情。

ザッハの手から服が落ちた。

その服を拾うこともせずに、佇む。

こちらをむいた少女は、伝承が語る通り、見るものを惑わす美貌。

金色の髪は背中の半ばまで流れ、頬は病的なまでに白い。

濡れた唇

そして、赤い瞳。

楔の剣の柄にはめこまれた赤い石の色の瞳。

禍々しい光。

――魔物

魔物が楔を選ぶ行為は、伴侶を選ぶのに似ているという。

大抵、恋をするかのように、異なる性別の楔を選ぶ。

楔であるリンコが少年だから、魔物はおそらく女だろう、とザッハも予想していた。

その少女の赤い瞳がザッハをねめつける。

こちらを見る視線に微妙に敵愾心がこめられているような気がした。

「リンコ、お前に助けられるまで地面に転がっていたまぬけを気に入るとは、お前は趣味が悪い。」

赤い目の魔物は不機嫌そうにそういい捨てると、リンコの頬にそっと一度手をやって、

そのまま身に着けた黒いドレスに手をかけた。

服は見る間に黒い一片の布に変わる。

黒い布は魔物の姿を包むように覆い隠すと、

ふわっと空中で一瞬大きく広がって、もうそこに魔物の姿はなかった。

布はそのまま空中の一点をめざして収縮していく。

消えていく黒い布から徐々に冴えた剣の輝きが現れる。

黒い布は消えて、空中には楔の剣が浮かんでいた。

次の瞬間、力を失ったようにぽとりと剣が白いシーツの上に落ちる。

日の光に赤い石が反射してきらめいた。

――まぬけ、とは私のことか

ザッハは初めてみた魔物に理不尽な嫌味を言われたことよりも、

魔物が自分のことを認識していたということにひどく驚いた。


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