17.罪と罰と留年(凛子視点)


苦しいほどの抱擁の中で凛子の鼓動はしだいにおさまっていった。

少女の右の手首と左の足首には蛇の姿のバングルが絡み付いている。

――剣の柄の2匹の蛇

にわかには信じ難いことだけれど、あの剣とこの少女の姿をしたイキモノは同じものなのだろう。

――これが魔物なのだろうか。この華奢な少女が。    

「お前に私の祝福を」

凛子はあの時の優しい声を思い出す。それが縋りつくような響きをしていたことも。

一度出した手をひっこめることは、良くないことだ。

助かるという希望を与えてそれをとりあげられたときの絶望はどれほど深いだろう。

それを裏切りと呼ぶのだと、凛子は知っている。

――無縁仏に手をあわせるべきではありません。成仏できない霊は、あなたの優しさにすがろうとして、

   あなたについてきてしまいますよ。

凛子は神を信じないのと同じくらい、霊の存在も信じてはいないけれど、

テレビに出ているインチキ霊媒師の台詞はあながち間違っているわけではない。

凛子が手をのばして黒い猫を掬い上げた。

手をのばした者の罪と罰、そういうことだろう。

少女の肩越しに日の光を受けて透ける金色の髪が目に入る。

ザッハのことを顔立ちが整った人間だと思ったが、少女の美貌は人間の域を超えていた。

寸分狂わぬ造形美は、見るものを圧倒する力を持っている。

だが、人形のように、無機質だった。

その中で、柘榴の色の瞳だけが、強い光を放ってまざまざと感情を伝えていた。

――魔物は人外の生き物だ。

ザッハの言葉通り、人間とは違う生き物なんだろう。

凛子は、少なくともこのような整った造作を持った人間を今まで見たことはなかった。

そして、今まで、誰からも、こんなふうにきつく抱きしめられたこともなかった。

そういう健全かつ品行方正な人生を歩んできたのだ。

でも、

――人のぬくもりは温かい。

魔物も人のぬくもりを温かいと思うのだろうか。

凛子はそっと魔物から身体を離す。

少女の姿をした魔物はその赤い瞳に問うような色を浮かべていた。

「日本に帰りたい。」

凛子は魔物に切り出した。

魔物が首を傾げる。

「私が楔だというなら、そうかもしれない。でも

ここに連れられてきた理由がわからない。日本に帰りたい。」

魔物に対する凛子の要望はこの一点に尽きる。

帰れないのは困る。

「それは、無理というものだ。」

その、凛子の願いを、少女はおかしそうに笑って一蹴した。けだるげに髪をかきあげる。

「あちらにお前を帰すには、莫大な力がいる。そんな力が私には残っていない。」

「そんな、馬鹿な。」

凛子は絶句した。

けれど、黒い猫はぼろぼろだったし、少女は終始けだるげな様子をしている。

もしかしたら、この魔物は弱っているのかもしれなかった。

――死にかけの黒い猫に手をのばした、私の罪はそれほどまでに重いのか。親切心が仇となる、とはこのことだ。

絶望にうちのめされている凛子を見て、魔物は少し困ったような顔をして、微笑んだ。

「こうやって人の姿をとるのも一苦労といったところだ。」

――帰れない。

その言葉が頭の中でがんがん響いて、凛子はベッドの上に両腕をついた。

「帰りたいのか。」

頭の上から、聞こえた声は優しかった。凛子が見上げると、少女は寂しげな表情をしていた。

「力が回復すれば、いずれは帰してやることも可能だとは思うが。」

それを早く言って欲しい。凛子は期待に満ちた目で少女をみつめる。

魔物はその凛子の表情をみて、やるせなげに溜息をつくと

「しばらくはかかるがな。」

と続けた。

――しばらく

とはいつまでのことなのか。魔物の時間が凛子の時間と同じ感覚で進んでいるとは限らない。

しばらく、が何十年先のことだとか言われても困る。それでは浦島太郎だ。

「しばらくって、どれくらい。」

凛子が恐る恐るたずねる。

「半年ぐらいはかかるだろうよ。」

少女の姿をした魔物はあきらめたように、微笑んだ。

――半年

半年たてば帰れる、と考えるべきだろうか。しかし、留年は決定的だ。

――そうか、留年か。

凛子は肩を落とした。


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