15.力の枯渇と黒い獣と楔の少女(リュクセイル視点)


地面に横たわる死にかけの身体をなんの感慨もなく見やる。

リュクセイルは踵を返して、先ほどの木の方向に向かって数歩進んで立ち止まった。

――おかしい。

自分に残された力が激しく消耗していくのをリュクセイルは感じた。

――困ったな。

力が強制的に奪われていく。

ぐにゃりと空気がねじれる感触がしてリュクセイルは微かに眉間に皺を寄せた。

――狭間を越えるつもりか。

力の枯渇は凄まじい勢いで進んでいる。

本能が狂って暴走しだしたのか。

この僅かな力で狭間を越えようとは、自殺行為だ。

だが、とリュクセイルはいっそなげやりに呟く。

――それもよいではないか。

私の力が尽きて、終わるだけの話だ。

目を閉じる。

その瞬間、一際大きく力が剥落して、がくっと膝をついた。

重たい意識の中から目を開いたとき、

リュクセイルは黒い小さな獣の姿に変わっていた。

――この世界は知っている。

魔物はまれにこの世界に足を踏み入れる。

あちらの世界と同じで命が溢れているからだ。

だが、それは恐ろしい罠だ。

魔物はあちらの世界のものだ。

それゆえ、

こちらに足を踏み入れたとたんに魔物はこちらの世界の何かに姿を変える。

例えば風に、あるいは木に、そしてリュクセイルのように動物に。

混じるのだといわれている。

魔物と似たような力のある何かがこちらの世界にもあって、

それは風や木や動物の姿で存在している。

その中に混じって、

あちらにいた時のように力がだせない。

すなわち

――戻れない。

雨が降っていた。

力はもういくらも残っていない。

けれど、その時、リュクセイルには分かった。

なぜ本能が力を著しく浪費しながらこちらに自分をひきずったのか。

この木々の向こうに楔がいる。

この何十年、求め続けて、得られなかった楔。

――ゼド、お前の勘が当たり、だ。

次の楔は女だ。

ただし、色っぽくはない。

まだ子供だ。

くすり、とリュクセイルは笑う。

――もう、楔のところにいく力も残っていないな。

目を閉じる。

その時楔の気配が近づいてくるのがわかった。

確かな足取りで。

――なぜ。

自分が楔だと知るはずもないのに、私に気づくのか。

伸ばされる両腕。

楔の手がリュクセイルの身体に触れた。

切なく、なつかしい感触がした。

腕の中に掬いあげられる。

その手のひらの暖かさにリュクセイルは怯える。

――なぜ。

私を知らぬ楔が、どうして、私を抱くのか。

幸せの記憶。

ああ、私はきっと彼女を求めるだろう。

薄く目をあけた瞬間。

リュクセイルは絶望した。

黒い瞳が彼を絡めとる。

囚われた。

強い光。

「キレイだ…、とても、色が。」

目に染みる光。

「お前の瞳の色…キレイだ。」

憧れにも似た希求。

力が尽きるそのぎりぎりのところでリュクセイルは凛子に囁いた。

「お前に私の祝福を。」

その途端、リュクセイルに吐き気がするほどの力が流れ込んでくる。

もともとのリュクセイルの力に比べれば僅かな量にすぎなかったが、

何十年かぶりに満たされる力の奔流にリュクセイルは僅かに溜息をつく。

楔の傍にいるとき魔物は強大な力を得る。

その時空気がぐにゃりとねじれた。

楔を得た以上、長居は不要と本能が判断したのだろう。

リュクセイルはあちらの存在であるがゆえに、

戻る分には破綻がない。

消えゆく力もそれほどではなかった。

人の姿にもどって、楔を抱いて

もといた森の夜の静寂に降り立つ。

狭間を移動する衝撃で意識を失った楔の少女を気遣うように見やる。

だが、たかがこれだけの狭間の移動でも

僅かしか残されていないリュクセイルの力は尽きかける。

先ほど切り刻んだ人が転がっている。

僅かな命を残して。

こうなった以上、力を求める必要があった。

リュクセイルはその身の一部を剣に変えて僅かに残った命を切り裂く。

断末魔の返り血を浴びて

禍々しい本能が狂喜する。

まだ力が足りぬ。

人の姿を保つことすらできない。

楔とともにある時、魔物の本来の姿は剣となる。

楔の少女の手の先にリュクセイルはその身を横たえた。


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