11.エゴと庇護と嫉妬(凛子視点)


何度か、口を開こうとして、それからザッハはあきらめたように

一度首を振ると、ふっと微笑う。

焦げ茶色の少し癖のある髪がゆれた。

既にザッハの水色の瞳はもとの穏やかさを取り戻していた。

「少し、酔ってたみたいだ。頭を冷やすよ。

 そう、楔の話をしないといけないね。」

酔ったせいにできるから、お酒っていうのは素晴しいのだろうか。

たぶん、ザッハが言いかけたことは別にある。

でも、別に聞く必要はないと凛子は思う。

本人が隠しておきたいと思うことを知りたいと願うのはエゴに過ぎない。

誰だって隠したいことを隠しておく権利がある。

――ザッハにも、そして私にも。

時々、記憶は残酷なものだ。

見たくないものをつきつける。

胸元を強調するようなデザインのドレスをきた給仕の女の人が

凛子とザッハの座っている席の横で立ち止まった。

「お替わりはいかがです。エリドゥの旦那。」

いたずらっぽく瞳を片方閉じてザッハに微笑む。

どうやら彼女も知り合いのようだった。

褐色の肌。少し汗ばんだ額に黒い前髪がはりついているのが色っぽい。

豊満なバストにあやうく凛子まで悩殺されそうになった。

香水のいい香りがする。

大人の女の人の香りだ。

彩加のことを思い出して、凛子は切なくなった。

ザッハは綺麗な給仕のお姉さんに空のカップを渡した。

素焼きのカップにお姉さんがクイザをなみなみと注ぐ。

「―ありがとう。エリナ。」

名前を呼ばれて、エリナは嬉しそうに微笑んだ。

顔が少し上気している。

ザッハに好意をもっているんだ、と凛子は微笑む。

優雅に首を傾げて、お姉さんに会釈するザッハはとてもさまになっている。

さぞかしおモテになるのだろう、と変なところで凛子は感心した。

凛子の視線に気づいて、ザッハは問いかけるように小さく首を傾げる。

そのザッハの表情に既視感を抱く。

――何かに似てる。

凛子は薄目でザッハを見つめた。

――ビクターの犬だ。

凛子にまさか犬に例えられていることを知るはずもなく

ザッハは凛子に微笑む。

「果汁もう一杯どうだい、リンコ。」

「いただきます。」

エリナにヴァンの果汁をもう一杯と頼んでから

ザッハは少し真顔になった。

「リンコ、君がもともといたところなんだけれど。

たぶん、イヴァース諸島のどこかの国だろうと思ったんだが、違うかな。」

「違います。」

いろいろ考えてくれていたであろうザッハの言葉に

凛子は申し訳なく思いながらも即答で否定した。

「そのイヴァース諸島はこの世界に実際にある土地の名前でしょう。

私の住んでいた国は日本といいます。

こことは全然別の世界があって、その世界にある国なんです。

ガヴァサイルなんていう国知りません。

魔物も楔も聞いたことがない。

でも、ここに私はいる。

私のように違う世界からこの世界に人がやってくるってことは、普通なんですか。」

――やっと聞けた。

それは凛子がずっと聞きたかったことだった。

凛子はこの世界のどこかの国に帰りたいのではなくて、違う世界に帰りたいのだ、と

ザッハには全て話しても良いような気がした。

ほんの1日の間一緒にいただけなのに

ザッハを信用できる人間だと思ってしまうのはなぜなのだろう。

頼るべき人が彼しかいないからなのだろうか。

それとも彼が凛子を庇護すべき対象としてみていることがわかるからだろうか。

もしかしたら、彼の心が絶望に支配される瞬間を知ってしまったからだろうか。

ザッハはきっと凛子を裏切ることはないだろうという確信はあるけれど、きっと

――裏切られても後悔はしない

そう信じさせてしまう彼の気品はどこからくるのだろうと不思議に思う。

そういうのも人間の器というものなのだろうか。

彼を全面的に信じてしまう時点で何か負けているような気がする。

凛子は少し悔しいな、と思いながらザッハの答えを待った。


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