48. 肖像画と花盛りの庭と幸せのありか(ザッハ視点)


小さな明かりをとるための窓があるだけで

昼でも地下の書庫は薄暗い。

燭台を横に置いて、ザッハは楔に関する文献を調べていた。

朝から剣術や学術を学び

午後遅く、書庫で楔に関する書物を読む。

それが、ここ1年のザッハの日課になっていた。

1年前、衝撃的な知らせがガヴァサイルにもたらされた。

「隣国ロードスの皇太子ラーサーが白き暁の魔物の楔になった。」

父親と2人の兄王子王位を簒奪しガヴァサイルの最後の王となり、そしてその後内乱によってしいされたダロス。

ダロスには殺した2人の兄王子の他にロードスに嫁いでいた姉王女がいた。

ロードスに嫁いだその王女の名はリアといった。

リア王女とロードス王の間にできていた子供が白き暁の魔物の楔になった。

確かにその子供はガヴァサイル王家の血をひいている。

その可能性に

なぜ誰も気づかなかったのかとガヴァサイルの人々は嘆きあった。

何百年の間ガヴァサイルを守護してきた白き暁の魔物が

今度はロードスを守護する。

ガヴァサイルの人々は絶望し、恐怖に慄いた。

――ロードスの皇太子が楔になった。

つまり、自分は楔ではない。

諦めとともにザッハはその事実を受け入れた。

父と兄を殺めて、王位を手に入れた簒奪者ダロスの血をひく自分は楔には相応しくない。

きっと、そういうことなのだろう。

楔になれば、ザッハの祖父であるクルトが

自分の存在を認めてくれるかもしれないという

ザッハの淡い期待はあっけなく潰えた。

楔について知りたいといったザッハに

書庫の鍵を渡してくれたのは執事のエスタだった。

歴代のエリドゥ家の当主が書き残した

文献は――稀に他の魔物に関する記述も混じっていたが、

殆どは白き暁の魔物に関するものだった。

ザッハが今となってはもう意味のない楔に関する資料をまだ調べようとする理由は

未練からなのかもしれなかったし、

楔と魔物への純粋な興味からかもしれなかった。

きりのいいところまで文献を読み終えて、

ザッハが階段をあがって隠し扉を開けると、目の前の部屋から声が聞こえてきた。

城には頻繁に親戚が訪れる。

エスタに言わせれば

「親戚の方々は厄介事が起こるたびにクルト様に泣きつきにくる。」

ということになるが。

クルトが死んだ後は自分達がエリドゥ家を継いで

好きなようにできると踏んでいたらしい親戚たちは、

急に現れて養子となったザッハに対する敵意をはじめから隠そうともしなかった。

声から察するに今日来ているのは

クルトの弟ギムザの息子のうちの1人だろう。

聞く気はなくても無遠慮な大声は廊下にまで響いていた。

「伯父上、今からでも遅くありません。

 あのような遠縁の子供などという

 得体のしれない者を後継になさるのはおやめください。

 伯父上には父ギムザが、そして私たちがいるではありませんか。」

クルトが何か答えたようだが、その声は廊下にいるザッハには聞こえない。

ザッハは対外的には遠縁の子供を引き取ったという体裁で養子に入った。

ザッハがクルトの娘ラティスとガヴァサイル最後の王、簒奪者ダロスの子供であるということは

「決してお話になられませんように。」

とエスタからも強く口止めされていた。

あの内乱から10余年の時を経てもなお。

ダロスはガヴァサイルの民に憎まれていた。

白き暁の魔物がロードスを守護することになった今となっては

なおさらだろう。

ラティスが身重のまま逃げたのは

魔物の守護を失った民が

怒りの矛先をザッハに向けることを危惧したからに他ならない。

そして、きっとラティスの危惧は正しかった。

この城に引き取られて2年。

ザッハは養父であり血のつながりでは祖父であるクルトに

数えるほどしか顔を合わせていない。

会話も人前での儀礼的なものだけだった。

ロードスの皇太子が楔となった今、

クルトがこの城にザッハを置き続ける理由はない。

いつか自分はこの城からでていくことになるのかもしれない。

それも

仕方のないことなのだとザッハは思う。

クルトは忌み嫌うダロスの血をひくザッハに

食べるものと住むところと平穏を与えてくれた。

剣を学ぶ機会も

知識を身につける機会も

与えてくれた。

それで、十分なはずだ。

あのまま娼館にいれば自分は

碌でもない死に方をしていたに違いないのだから。

ザッハは黙ったままギムザの息子の声が響く部屋の前を通り過ぎた。

赤い絨毯が敷き詰められた廊下の突きあたり。

裏庭に出る戸の横にかけられた絵の前でいつものようにザッハは足を止めた。

花が咲き乱れる裏庭に佇む白いドレスを着た等身大の少女の絵。

ザッハと同い年くらい。

12、3歳頃のラティスが描かれた肖像画。

ラティスの肖像画を初めて見た時。

ザッハは長い間その絵の前から立ち去ることができなかった。

ザッハの知っている母よりずっと幼かったけれど

それは

ザッハが生きては二度と見ることはできないと思っていたラティスの姿そのままだった。

「生きて、幸せになって。」

ラティスの最後の言葉。

けれど。

光差す庭で花に囲まれて屈託なく微笑む肖像画の少女に近づいて

そっとザッハは語りかける。

「母さん。あなたは、幸せでしたか。」

この城で何不自由なく育ったラティスが

1人きりであの町で子供を育てることは

たやすくなかったはずだ。

どれほど不安で心細かっただろう。

苦労して、やせ衰えて、病気になって、

若くして死んだラティス。

「あなたを不幸にしたのは私ではないですか。」

自分さえいなければラティスはこの城に戻ることができたかもしれない。

少なくともあんなふうに死ぬことはなかった。

ラティスを不幸にしたのは、ダロスであり。

その血をひく自分だ。

ザッハはもう一度絵の中のラティスを見つめると、

そっと身を翻した。

裏庭に続く重い木の扉を押して、外へ出る。

薄く青い空。

太陽の明るさに一瞬目が眩む。

ザッハは目を細めた。

肖像画のラティスが佇むそのままの花盛りの庭。

綺麗に整えられてはいるけれど、そこに植えられた花は

城の周りに普通に生えている野草ばかりだ。

草の匂いがする柔らかな風。

野の花は緑の中に埋もれるように咲く。

ザッハの視線の先。

堀の縁に座る淡い金髪の少女が見えた。

「テレーゼ。」

ザッハは声を弾ませた。

テレーゼと呼ばれた少女が顔をあげて、ザッハを見た。

「こんにちわ。ザッハ。勉強はもう終わったの。」

テレーゼはクルトの弟であるギムザの妾腹の娘だ。

今年14になるらしいので、ザッハよりも1つ年上になる。

彼女はクルトに気に入られているらしくこの城によく遊びに来る。

そういう性分なのだろう。

初めて会った時からテレーゼはザッハに対しても分け隔てすることなく親切だった。

年の近い弟に接する姉のようなテレーゼの気安い態度は

この城でザッハが得ることのできた温かさの全てだったといってもいい。

この裏庭はテレーズのお気に入りの場所で

小鳥の巣のある場所や

食べられる綺麗な赤い実のなる木のある場所を

ザッハに教えてくれたのはテレーゼだった。

くるくるとよく動く瞳の色は水色。

クルトがテレーゼを気に入っている理由は聞かなくてもわかった。

テレーゼは顔だちまでどことなくラティスに似ていた。

「君が来ているってわかっていたら、もっと早く切り上げたのに。」

ザッハがテレーゼに微笑むと

テレーゼはわかりやすく真っ赤になった。

「やめてよ。ザッハって本当に綺麗な顔をしているんだもの。

そんなことを言われると、どきどきしてしまうわ。」 

顔を顰めたテレーゼに、ザッハは小さく吹きだした。

テレーゼと話しているとその時だけ自分の胸に空いた

穴が埋まるような気がする。

もしかしたら自分も

ラティスの面影をテレーゼに重ねているのかもしれないと

気づいてはいたけれど。

テレーゼの座っている堀の縁に並んで腰かける。

水面に自分の姿が映って

ザッハは暗い笑みを浮かべた。

この顔は。

この髪は。

それほどダロスに似ているのだろうか。

水鏡の向こうから

こちらを見返す水色の瞳は

母や祖父と全く同じ色をしているのに。

生きていくことはできる。

でも。

生きていてもいいのだろうか。

胸の中にある欠落感。

幸せになどなれるだろうか。

「幸せ」がどんなものなのかさえわからないというのに。

「どうしたの。ザッハ。怖い顔をして。嫌なことでもあった。」

テレーゼの温かな声がした。

ザッハは顔をあげた。

光差す緑の。

花盛りの庭。

「なんでもない。」

ザッハは自分の心の柔らかい場所を明け渡した少女に向かって微笑んだ。

剣を学び学問を身につけよう。

そうすれば。

いつか。

クルトの一助になれる日はくるかもしれない。

堀の縁に腰かけたザッハの目の高さで淡い緑色の草の葉が揺れた。

強くなろう。

大切な人を守れるくらいに強く。そうすれば。

いつか。

この淡い金髪の少女を幸せにすることはできるかもしれない。

そう。

諦めるのは。

できることすべてを、やってからでも遅くない。


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