1.少女と少女と少年(彩加視点)


美術室はなぜか懐かしい感じがする。

木製の机や椅子が醸しだす雰囲気なのかもしれない。

卒業したらきっと懐かしく思うのだろうと、そんな先のことを

ふと考える。

雨の日はアンニュイ。乙女心は複雑。

凛子は数学の教科書に意識を戻した。

問題を解こうとして、首をかしげる。

セーラー服の肩先につかない程度の黒髪が左右に揺れた。

癖のない髪は母親譲りで、リボンを結んでもすぐほどけてしまう。

「ここなんだけど、どの数式つかうの?」

ギブ、とつぶやくとそのまま

机をはさんで向かい側にすわった彩加に助けを求めた。

ふわっとした髪は三つ編みで整えられ、

茶色い縁の眼鏡が理知的な印象を与える。

優等生と聞いて思い浮かぶ姿そのものだが、実際、彩加は優等生である。

全国模試の成績上位者の常連であり、

高校2年生のこの時期から、有名大学合格の期待がかけられている。

三つ編みにびんぞこ眼鏡であるのにもかかわらず、にじみ出る色香とナイスバディ。

凛子は自らのしょぼい胸との違いに人類の不思議を感じずにいられない。

「どれどれ、あー、これ、ちょっとこつがあるの。」

彩加はノートにかしかしと書いていたペンの動きをとめると、

凛子に丁寧に解き方を伝授した。

放課後の美術室は雨のせいで少し薄暗い。

彩加は美術部の部員で、

今日は部活がお休みの水曜日

明後日は数学のテストがある。

彩加が凛子に数学を教えるのも毎度のことであった。

すらすらっと答えを導く彩加の手元に凛子がうんうんとうなずいた。

「さんきゅ。わかった。」

ペンの動きにあわせて凛子の黒い髪がさらっとゆれた。

彩加は凛子の瞳にふと目を奪われる。

――深い黒、すいこまれそうな。

「凛子の目ってほんときれいよねえ。」

ふとフラッシュバックする。あの日。

屋上から見えた青い空、校庭の喧騒。

そして限りなく暗い焦燥感。

「目がきれいってほめ言葉かな。」

目を限定した彩加のほめ言葉ではあるが凛子はまんざらでもないように

微笑む。美人に綺麗といわれるのはなかなかうれしいものだ。

「彩加は実際美人だからねえ。よく聞かれるんだけど。好きな人はいないの。」

――尾上、頼む、聞いといて、飯おごるし。

部活の友人である速水が拝まんばかりに頼んでいたことをやっと思い出して、

凛子は彩加の肩をうりうりとぺんの後ろでつっつく。

視線は教科書にやったまま彩加は複雑な表情をうかべた。

苦笑に近いだろうか。

「まだ、ピンとくる人に出会っていない感じかなあ。もし凛子が男の子だったら凛子と付き合うんだけどなあ。」

満更冗談でもなくつぶやいた彩加に、凛子が教科書から頭をあげる。

「私だって、男だったら彩加とつきあってるよ。美人で賢くって、気立てもいい。」

無邪気な凛子の微笑みに彩加はふふふと笑う。

――そうね。あなたが男だったらよかったのに。

友情よりもすこしきつい執着。

あなたのそばにいると暗闇が遠ざかる。

彩加はかすかに胸の奥に苦いものを感じる。

――凛子は何もわかってない。

凛子は自分が人気があることを知らないのだ。

その理由は凛子に中性的な魅力があるから、ではない。

存外に成績が良いせいでもない。

運動神経が並外れているせいでもない。

才能をもちながら、本人がそれを特別だと自覚してなくて、自分を過小評価しがちなのは、好ましいところだけど、

そのせいでもない。

なんというか、存在が際立っているのだ。例えば、彼女の周りだけは空気の匂いや色が違うような気がする。

独特のあたたかな風をまとっているような、彼女の周りに光が溢れてるような。

――どんなにたくさんの人のなかにいても目がいってしまう。

よく芸能人に華がある、華がないといった言い方をすることがあるが、それに似たようなものかもしれない。

凛子はもてるが、表立っては女の子が凛子の出場する剣道や弓道の試合などにきてキャーキャー騒ぐ程度の話だ。

女の子の同性への憧れという形はごく一般的で、思春期によく起こる現象の一つといえるだろう。

男の子たちの凛子への思い入れは

性格的には気安い男の子といった感じの凛子へのからかいのような形で表される。

少なくとも凛子が高校2年生の夏を迎えた今までのところはそうだった。

「子供だからなあ。男の子って。」

ぽそっと彩加の口から言葉がもれる。

彩加の雰囲気にはあまりにマッチしたその大人びた発言に

「大人なご意見で」

とうなずく凛子に、彩加は首をかしげていたずらっぽく笑った。

「凛子はどう。誰か好きな子いないの。」

「『好き』ねえ、『好き』はいまいちわかんない。」

彩加の予想通りの答えを返したあと、凛子は難しい顔をした。

「実はさ」

声をひそめた凛子に彩加は、やはり胸の奥にとげがささったような気がした。

「告白されたとか。」

「なんでわかったの?彩加ってもしかしてエスパーなんじゃないの?」

凛子は心底おどろいたらしく、顔を赤らめた。

「森君に告白された。」

「佐野君に告白されたんでしょう。」

覚悟をきめて凛子に話かけたものの、

予想外の名前が凛子の口から漏れ、彩加はしまった、と顔をしかめる。

凛子は急に出てきた幼馴染の名前に目を白黒させている。

「はあ。勇冶が何で。」

混乱して頭をかかえた凛子に、彩加はあわてて否定にまわる。

「ううん。今のは私の勝手な憶測で……」

凛子の幼馴染の気持ちをよく知っている彩加は、同病相憐れむという

はなはだ不健全な理由で密かに彼を応援しているのであるが、やぶへびだったようだ。

そう、凛子を知らない誰かにとられるくらいなら、自分の目の届く範囲で誰かとくっついてもらいたい。

できるなら低体温の恋をしてほしい。

誰かに夢中にならないでほしい。

彩加は森、森と記憶の人物ファイルを探る。

――森君ってあれか、あのサッカー部の。とんびに油揚げ野郎が。

彩加が、儚げな外見からは想像もつかない悪態を心の中でついた時、

「そう、勝手な憶測はやめろよ。本宮。」

背後から少し焦りを含んだ声がした。

彩加が再びしまったという顔をして目を瞑る。

美術室の後ろの扉のすきまから噂の片方の主である佐野勇冶が体をちょっと窮屈そうにひねって入ってくる。

鍛えられた身体をしてると一目でわかる、整った顔をした少年だった。精悍というにはまだ幼さが残る。

「勇冶。どうしたの。」

勇冶について悩んでいたはずの凛子であるが、勇治を見てすぐに嬉しそうに立ち上がった。

勇治は凛子の隣の家に住んでいる。

勇冶が隣に越してきた幼稚園のときからずっと一緒という、

いわゆる筒井筒の凛子の幼馴染である。

凛子はこの優しくおだやかな幼馴染を非常に頼りにしている。

「うふふ……。佐野君。ここにいるってよくわかったわね。」

彩加がちょっと肩をすくめて勇治にあやまる仕草をみせる。

勇治も彩加に対して軽く肩をすくめた。

「教室にいなかったから、たぶんここかなって……。」

「そう、おまえ、森に告白されたんだろ。」

「そうそう、って、なんで、勇治が知ってんの。」

勇治の言葉に凛子がうっかり返事をしてから、目をぱちくりとさせる。

「そりゃ、あんだけ人のいる前で告白されりゃ噂になるに決まってんだろ。」

少し詰まってから勇治は答える。それを見て、凛子は首をかしげた。

「断り方うまくわかんなくて。ちょっと困ってるとこ。」

「相談にのってやる。今夜、おまえの部屋にいくよ。じゃな。」

凛子の言葉に安堵のため息をもらしたことを知られたくなくて、

そのまま勇治はきびすを返す。

後ろ手にバイバイと凛子にむかって手をふると、そのまま、美術室の戸からするりと出て行った。

幼馴染の凛子と勇治はものごころついた時から互いの部屋を屋根づたいに移動して遊びにいくのが通例になっている。

一連のやりとりをみていた彩加はため息をついた。

――あんなにわかりやすい少年の気持ちがわからない凛子は残酷だ。

  私には好都合なんだけど。佐野君は告白するつもりかもしれない。

  彼の焦りは良くわかる。凛子にそばにいて欲しい。

  その願いは私と同じだから。

「勇治に相談するとなったら、気分楽になった。

 数学のわかんないとこも解けたし。いうことなしだね。そろそろ帰ろっか。」

凛子は教科書を鞄にいれて、背中に背負った。

この明星高校の制鞄は背中に背負うこともできるデザインで、こっくりした茶色い皮がおしゃれだと近隣の学校からも評判がいい。

彩加も自らの鞄を手にして、凛子にそっと微笑みをかえした。

――いつか兄弟への思慕のような気持ちが恋人への愛情にかわるのかもしれない。

   そう、佐野君が凛子の手を離さないで、このままいったら。

そこで彩加はふと胸をかすめる不安に気づいた。それは凛子と一緒にいるときにふと感じる違和感だった。

――存在が際立っていて、風景になじんでいないような、手をつないでおかないとどこかにいってしまうような。

「ねえ。今日の帰り、三松によって帰ろうよ。私、抹茶宇治ミルクね。」

『私はまだまだ男女の色恋より団子ですよ。』という凛子の台詞によって思考の中断を余儀なくされた彩加は、胸のざわめきを否定した。

馬鹿馬鹿しい想像だ。『どこかにいってしまう』なんて、いったいどこへいくというのだろう。

雨がざっと一瞬強く窓を打った。


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